吹雪

純粋数学のために』
今日は雪がちらつく冬の日でした。
冬に突然夏の気温になることは
確率としては無視してよいほどで
また冬から秋や夏に戻る現象は
一般的には考えなくても良いため
論理的に言えば
一日冬を過ごしたということは
その一日分だけ
春に向かっていることになります。
厚い雲が風に乗って流れ
手加減もなく太陽を隠すときは
外に出て遊びたがる子供たちも
風の寒さに戻ってきて
家の中にいるのが良いようです。
ボードゲームを散らかしたあとは
パズルの本を広げて過ごす
暖房のそば。
空いている場所の数字を埋め
マッチ棒を一本だけ動かし
質問を一つだけ考え
文房具の値段を計算したり
最初に初恋をした子を見つけたりします。
計算能力と思考力の訓練をしていると
答えが出やすい問題の場合──
どうも私は頼られることが多い。
でもこれではたまに
みんなの考える楽しみを奪ってしまうから
答えには慎重さが要求されると思います。
昔の人はストイックな喜びを求めて、あるいは本気ともつかない言葉で
純粋数学のために、それが永遠に
誰のためにも何の役にも立たないことを祈って──と
笑ったそうです。
私が考えながら数学的な視点から提示するヒントは果たして
尊敬すべき彼らの望みを手助けできるのか
それともただ家族で楽しく遊びたい気持ちだけの
不純さを見透かされてしまうか──
特に寒い冬の日は
充分に暖まる大きなお風呂がある
銭湯へ向かう希望を出す子も多いようです。
帰りにコンビニエンスストアなどへ寄り道するのを期待しているような
言葉もときどき聞きますが──
私の家族が銭湯で快適に過ごせる入浴客の人数や
濡れすぎずあまり滑らずに歩けそうな床の状態を保っている面積など
数学的な面において実用性を求めた結果
比較的早い時間に出かけて戻ってこられるよう
家族で一番に出発の準備を済ませて
真っ先に入浴も終えて待っていることがあり
一人の空き時間が増えていくことから
あまり実生活で細かく物事を考えすぎるのは
思考力の有効活用ではないという気がするときもあります。