ヒカル

『冷たい鍵』
3月になると
暖かくて気持ちの余裕も生まれるようで、
というか
ゆるゆるに日々の生活も
固い氷が解けるみたいに
なんか──緊張感がなくなった。
もう学校の授業も
教科書の残りは、指でパラパラ送る数ページ。
新しい学年の教科書を開いて
新鮮な気持ちを取り戻すまで
つぼみが開くのを待つ通学路は
長い用であっという間だったこの一年の区切りまでを誰かと歩む
どこかゆっくりとした消化試合。
新しい何かが始まる予感と共に
花びらの色が広がるようになるまでは
もう緊張で縮こまる丸い背中はどこにもなくて
まるで耳を澄ませばようやく届く羽音を背負って
蜜を集めに向かうみたいな軽やかな足取りばかり。
時間の流れも溶け出した春の小川に似たこんな時期は
どこでもいいから靴を踏んで体を動かしたい子と
今しかできないからこそ
徹底的に心残りがないくらいまで日なたで長くなるのだと決めた子とで
家族でもきれいに行動が分かれる。
だけど様子をじっくり見ていれば
だらだらするためにクッションもお菓子も用意を整えて
鼻息を鳴らしながらなまけ空間に飛び込むすがすがしい迷いのなさと、
その隣で顔を上げるのはたまに背を伸ばして
窓の外をうかがう落ち着きのない瞳。
そう、今はどうしていいか知らなくて
暖かな窓辺にまどろんでいても
ここから連れ出してくれる手のひらがあるなら
もしかして体の中の勇気に熱が通って
春の日差しだけでは後わずかに溶けない怖がりな冒険心を
もう首輪から解き放てるのにと──
本人も気がついていないスタートラインにいるかもしれない。
そんな子も一人や二人じゃない。
どうして私がそれを知っているかというと
久しぶりの凍える雨で
家から出られなかったせいだ。
いや──どうだろう。
私も日の当たる場所で何かを待っているような昼寝の時間を
何度も繰り返してきた気もするんだけど。
答えを知っているのはたぶん
雨の降る退屈な風景。
濡れてもいいって走っていける季節がもう来ていたら
暖かいところで目を閉じていたい気持ちが本物なのかわかるのにな。
だらしなくまどろむ自分が本当にいるのか
まだ今日ははっきりしたことは言えない。
雨がやんだらもうみんなを困らせるくらい手が付けられなくて
暴れ出すのを知っていて
そっと隠れていたずらっぽくにやけながら
目を閉じているだけかもしれないんだ。