『次の日の朝』
バレンタインの時間は
のどかな風が運ぶように
あるいは、暖かな日差しの下の雪解けのように
ついに過ぎ去った。
あんなにも離れることが思い浮かばないほど
私を包んでいたチョコレートの香りと
転がり弾む期待を伴う高揚感は
たった一夜が明けたとき
開きかけたのを見つけた花の
穏やかな桃色、
ゆっくり待つしかなくともとうとう見えてきた春の気配に
すっかり取って変わられたわけだ。
あとはもう、音も光もバターのように溶け出した陽だまりにいて
目を閉じ考えることはといえば
みんなで春を迎えること、
どうか体調を崩しやすい季節を乗り越え
毎年厳しい寒さの後にどうにかやっと平年どおりの笑顔で
花の季節に向けて
誰かと並んで歩き出すそのことばかり。
そんな気配が漂いだした
2月も半ばを過ぎた冬のこと。
その原因の一つとなっているのは
まだ少し、やけに胸の中が熱くなった一日の余燼が消えないまま
染まる頬を隠しきれず照れ笑いでごまかすしかない朝の
妙に熱っぽい
奇妙奇天烈なまるで普通じゃない雰囲気もあるのだと思う。
顔を見ただけで部屋の温度が上がるくらいに
考えられないほど瞬間的に熱を持つ
まだ冷え込む朝の
まぶしい光の中。
顔を合わせると気持ちが高ぶるとわかってしまい
波立つ感情、受け入れようとする意思の引き起こす同様の嵐。
暖かい気がするのに
ほんのわすかだけ口数が少なくなりがちな朝。
正面から自分の気持ちと向き合ったあとは
誰もが初々しい表情を見せる。
どうせ何日か過ぎて慣れてしまえば
照れくさかったのが嘘のようになると知っているのに。
そう考えると
おそらく熱力学的に初々しさとはエントロピーが小さい状態であり
物理法則に従って不可逆的に
安定した状態へと変わっていくのだろう。
どれくらいの時間がかかるかわからないが
今の私たちの感情の乱れは
宇宙的に見てもたいへん貴重な状態であることは確かだと言える。
これが失われる当たり前の未来を惜しいと思うなら
写真にでも残しておこうか。
それとも日記で記録しておくのが大事なのか。
いや、消え行くものだと知ったうえで
また改めて別のタイミングを狙い
特別な反応を引き出そうとする試みを今から考えておくのもひとつの手だ。
そんな愉快な考えも許される朝だろう。
私にはまだこれから
春を迎え、新しい季節を
家族と共に過ごす
得がたい時間がこれからも長く続いていく。