綿雪

『はじまるおはなし』
今日みたいに、よく晴れた日のお楽しみは
いつもよりほんのちょっとだけ遠くへ足を伸ばすお散歩。
なのですって。
見たことのない景色を探しに。
それとも
子供の頃に迷い込んだ、懐かしい景色を探しに。
いつもの道を通り過ぎて、次の横道か
小さな交差点まで歩いたら
おそるおそるのぞきこんで
ドキドキしながら様子だけ見て戻ってくるの。
そこには小さな本屋さんがぽつんとあるのかもしれないし
色がくすみはじめた古い看板が、
おとぎばなしのような知らない世界の入り口を
お知らせしているのかもしれない。
まるで森の中にいて
魔女の館から来たような厳しい顔のおばあさんが座っているお店の中が
白く反射するガラスのドアの入り口からかすかにのぞくだけで
せいいっぱいの勇気を使い果たす
特別な日にだけ訪れる冒険の誘い。
その一歩を踏み出す始まりにあるのは
ただ、こんな気持ちのいいお日様の下をもう少し歩いていたい
うきうきする暖かい日差しの力だけだという
それがうれしいお散歩の正体なのだといいます。
お兄ちゃんもそうなの?
知らない通りの
見知らぬ人たちが過ごす
まだ少しも重なったことのない毎日を初めて知る
そんな体験のきっかけは
優しい光が差している暖かさだったりする
という話は本当なのでしょうか?
お気に入りのパジャマを着替えて
新しい季節に飛び込むような思い切ったお着替えをしたい気分になると
どうしても、足は勝手に先へ進むとか。
立夏お姉ちゃんが誘うお散歩に
お昼ごはんのすぐ後でまだあんまり動けなかったユキは
おるすばんしています、
と小さく手を振っていってらっしゃいとだけ。
帽子をかぶった星花ちゃんと吹雪ちゃんの後姿が遠くなるのを見つめていました。
そういえばいいお天気の日になったから
もしかしたら物語の始まりのような新しい通りを見つけてしまうのだろうか?
見送るだけで胸の鼓動が少し早くなるような想像を
玄関先で扉の影に隠れながら、一人の遊びで盛り上がっていたのでした。
お休みの午後のために用意しておいたとっておきの新しい冒険の本が
たぶんひとつの原因。
それから、小さい子供のときから
枕にうずもれてベッドに横になっているあいだの
柔らかな光がお部屋の窓辺でまどろむ昼下がりに
いつも思い出していたこと。
こんなに晴れた日には
ふつうはいったいどんなふうにして過ごすものなんだろう?
ぽつんと浮かんだ疑問に
氷柱お姉ちゃんが答えてくれた言葉を思い出したから。
よく晴れた日には
ほんの一歩だけ遠くへ足を伸ばしたくなる
いたずらの魔法が
誰にでもかかってしまう。
どこから降り注ぐ感覚なのかまるでわからないのに
そのせいで、なんだか影が長く伸びる暗い通りにぶるぶる震えてしまっても
なぜか次の休日が来たら全部忘れたみたいに探している
その日だけの気まぐれなお散歩コース。
馬鹿みたいでしょ? って氷柱お姉ちゃんは笑うの。
もっと有意義な時間の過ごし方をしたらいいのに、って。
もう少し大きくなって頭がよくなったら
ユキの質問にもちゃんと立派に応えてあげることができるのにね、なんて言ってたよ。
そうなのかあ……
でもユキはときどきだったら
怖いかもしれない道を見つけてみたい気持ちになることもありそうだな……
考えていました。
遠くへなんてあんまり行ったりはしないけれど
でも、暖かくて優しい日だったら気持ちがいいって知っていたから
いつかのんびり歩いていって
氷柱お姉ちゃんと同じものを見つけるんだと
小さい頃は、なんとなく考えていました。
それでいつもより胸が弾んだからなのか
疲れてしまったみたいに休んだ午後。
今日、立夏お姉ちゃんたちが見つけて帰ってきたものは
たくさん話を聞いてもぼんやり想像してよくわからないままだけど
そのうちユキも見る景色なのでしょうか?
やがて、もっともっと体が丈夫になって
気ままな散歩ができる暖かな日が来たら
ユキの発見を聞いてくれる誰かと一緒に
ドキドキしてしまうような報告をお話できるの。
その時を期待しながら大人しく待っているのって
今はお昼にお部屋で静かに
ちょっぴり一人きりの時間を過ごしても
たぶん、ちっともつらいことではないのだと思います。