吹雪

『子守歌』
小さい子たちにとって
お昼寝は一つの楽しみという。
真夏の真っ只中にある私たちの家では
大人にとっても、一番暑い時間帯の睡眠は良いものだという。
充分な食事の後、ユキが部屋に戻ってベッドに横たわると
その周りで毛布を引っ張って横になる妹たち。
氷柱姉や小雨姉や
昼食前まで眠っていた立夏姉たちが様子を見ている間に
カーテンを引かれた部屋の中は、規則正しい寝息だけで満たされていく。
子供たちの隣に横になってこっそりつっついてみたり、
本を広げて、柔らかなクッションに身を任せたり
ひとり残らず部屋の一部に形を変えたように動きの少なくなった空間で
いつもは気にならないページをめくる音ばかり、やけに大きく聞こえる。
手を止めたらかすかなセミの声。
庭のどこからでも聞こえていたような
決まったリズムを繰り返す騒がしさが
一日経つごとに遠く小さくなっていく感覚は
ただ、この数日は気温が上がらなかったためかもしれない。
あるいは確かに夏が遠く過ぎ去ろうとしているのか。
部屋の隅に積み上げて誰かが置いていった料理の本は
広げれば気の早い秋のメニューが並んでいるものが多いはず。
やがて訪れる食べ物が豊富な季節への準備として
こんな静かな時間でなければ、声を出してメニューを読み上げる子も多くいます。
まだ早いのではないだろうか?
今からは食材も充分に手に入らないのでは?
あるいは、楽しみにして待っている行動とは
この例のように実際的な意味を伴わない場合が多いのか。
楽しみにするとは?
待つとはどのような理由がある行為なのか。
時間はいつも順調に流れていく。
大きなトラブルでもなければ
必ず私の身にも、その日はやって来る。
誰だって同じ。
時を早めることはできないから
楽しみにしていても
忘れていても
あらゆる人間に同じだけの時間を経て、秋の食材は訪れる。
それまで何もできることはないのに
どうしてこんなにも早く準備を進めるのだろう?
考えてみたら
まだ小さいマリーや虹子が婚姻の制度に興味を持っているようでも
自身の体験となるのはずっと先のことなのだから
あまりにも目標とするのが早すぎる。
それまで、いったい何をして待つというのだろう?
どのような準備が有効だというのだろう。
他にだって世の中には興味の対象が多いはず。
社会的にも生物学的にも理由がない。
私たちの年齢で恋などまだできるはずがないのに。
いったい何が人をここまで動かすのか。
何の効果ももたらすことのない活動に
私たちはどうしてとらわれてしまうのか。
はたしてこれは本来全ての生命に起こりうる錯誤なのか
人間特有の現象であるのか。
ずっと遠いはるかな将来を想定して
その日のために行動をはじめる。
未来への準備。
順当な展望、あるいは
無謀な挑戦。
どうも充分な栄養摂取と休息によって
訪れる気持ちの変化。
元気であるということが理由なのかもしれない。
日中の気温も落ち着きつつあり
どうやら私は暑すぎた時期よりも元気を取り戻しつつあるように感じられます。
たまには本を置いて昼寝を試みて
みんなに合わせた元気を獲得する努力をしてもいいのかもしれない。
夏が過ぎて、また別の季節が訪れようとしています。
秋の準備も早いということもなかったのでしょうか?
早めに行動するなら体力によって有利になる。
たまには私も長い睡眠時間をとってみたときの変化などを
経験してみるのも興味深いかもしれません。