吹雪

『ハートマーク』
気温が高く、直射日光がよく当たる位置では夏のような暑さでした。
日陰にいても吹き込んでくる蒸し暑い風。
九月なのだからこのくらいの残暑の気温でちょうどよいという話をしました。
たちまち夏が終わってしまったのではあわただしい。
次に来る穏やかな季節を楽しみに待つにも
移り変わる早さはゆっくりでいてもいい。
などといった話。
私は頭の中がクリアに感じる寒さも好ましいけれど。
季節感は大事なものらしいので。
こういう時期だと思って耐えています。
九月になってもいつまでも暑い、
早く本格的な秋を見つける頃にならないものか。
などと話をする
そういう楽しみもあるという。
うーん。
季節は変わるものなんだから、人間が何を言っても仕方ないのでは?
夕凪姉の発言によれば、夏が終わって寒い時期になるのに気が進まないならば
常夏の島へ移住するとよい、といった趣旨の意見。
でも、私たちの家はこの場所だと思うのだけど。
そういえばキミもかつての家から私たちのところへ来たのでした。
もうだいぶ誰もが受け入れている状態だと
観察の結果として私はそう思う。
いきなり家族が増える混乱と
毎日を共に過ごす家族の一員と受け止めはじめた時期から
キミがこの家に帰ってくるのが当たり前の生活になり
今ではもう、姿を見なければ落ち着かないほどになっている。
朝の挨拶を交わさないと。
キミが帰ってきたときに準備をして待っていることができないと。
準備の内容は、全員それぞれが違うようですが。
とにかく待っている。
毎日同じことをしている普通の話をしなくては
どうも何かが足りないような気がしてしまう。
それは生存に必要な行動ではないのに
どうしてもなくてはならない。
一日も欠かせない理由は
私たちがただ
お互いを家族と思っているから。
だとしたら、どこに住むことになってもそのつもりでいれば問題ない。
私が違う場所に移り住んで受け入れてもらった経験を持っているわけではないけれど
たぶん大丈夫なのだろうという推測です。
証明する材料は、私たちの毎日に多く存在していると疑いなく言える。
それはともかく別の気候の違う町に住むのはあまり気が進まないと意見を出しておきます。
家族がそれを決めたら私はついていくのだろう。
ただ、今のところは
夕凪姉が将来の希望を語っているだけで、現実的な問題ではなさそうです。
だから私たちはこの残暑の時期をどう過ごすか、それに加えて
まもなくやってくる秋に備えることなどを考えなければならない。
日が沈んでから冷え込むのだから
昼の日差しを当てにしてずっと半袖でいるのは良くないと思われる。
氷柱姉が夕方になってくしゃみをしていたのも
陽気に浮かれて薄着になったのが原因だと
立夏姉たちは見ている。
ただ単に普段着で油断をしていたばかりではなく
お月見前にできあがったばかりなのに
季節の影響もあって、もう着ることはないであろうミニ浴衣。
あまりにきれいにできたものだから
蛍姉が試着をしたという。
立夏姉も着せてもらって喜んだそうです。
ところがどうも
昨日から、せっかくできたのに誰も着ないのはもったいないと
氷柱姉が体に合わせながら何度も言っていたので
同じ部屋の共用のタンスにとりあえずで入れておいたのだから
誰も見ていないときに着ていたとしても
蛍姉は怒らないそうです。
しかし氷柱姉の話では
そうして体に当てていたときに、こんな派手な色で
短かすぎる丈の浴衣なんて自分だったら着る気がしないと
ちゃんと言った、確かに言ったとのこと。
くしゃみの原因はミニ浴衣ではなさそう。
その後、暖かい上着を蛍姉からかけてもらうことには
二人の意見は一致した様子でした。
派手な浴衣と同じ色のピンク色には、氷柱姉は不満があったらしい。
女の子だったら誰かれかまわずかわいらしいピンクやハートが好きだという風潮は
自分には当てはまらないと言っています。
しかし、その少し前の時間に
我が家の小さい子たちが拾ってきたハートの形のキレイな色の落ち葉を
自分も昔は同じように集めて遊んだと笑っていたのも
確かに氷柱姉であったはず。
ハートを集めて喜んでいたのは海晴姉たちの言葉からも確からしいけれど
氷柱姉の小さい頃を私が見ていたわけではないからわからない。
思えば同じ家族なのに、育った時期が違いすぎてわからないことが多いというのも
年下は不公平な気がする。
やがて科学の発展に伴って
今の子供である私たちと同じように小さかった頃を一緒に見ることのできる道具が
いつか発明されるかもしれないし
あるいは私たちがその時代に移動して共に過ごすことが出来るようになるとか
大人たちが子供になるとか
私たちが大きくなって隣に並んで
その時はまた別の形での家族の過ごし方があるだろうと
想像してはみたものの
これもまた、今のところは全く現実性のない空想にすぎない。
子供たちは荒唐無稽であってもなんであってもかまわない
とにかく夢を見るのが仕事の一つと、今日は海晴姉から聞いたから
ときどきは私も夢を見るものらしい。
今は実現も難しい全てが
やがて訪れる未来かもしれない。
目の前で移り変わる季節にも備え、見たことのない新しい世界を想像することも続けるのは
とても忙しそうですね。
こんなにすることばかりあっては
ときにはゆっくり心の準備をしながら時間を進めていきたい希望を持つ理由が
少しわかったような気がします。