吹雪

『応援』
雨の予報が外れて、このあたりでは夜まで曇り空が続きました。
応援合戦の準備も赤組と白組で分かれて
校庭と体育館を選ぶじゃんけんになったと聞きました。
こういう運任せの勝負で負けても
がんばったから、と慰めるのも変じゃないだろうかと
代表になってじゃんけんを挑んだヒカル姉が少し悲しそうでした。
じゃんけんはデータの積み重ねも重要であって
特定の相手との対人戦を前提とした研究の対象としても興味深く、
この要素はスポーツとも通じる。
手を読まれているヒカル姉ですが
それでもスポーツ全般は得意なのだから
単純すぎる競技は苦手なのでしょうか?
あるいは、じゃんけんを正々堂々と挑むゲームと考えて
出す手が単純な夕凪姉やヒカル姉を相手に勝利を重ね驚かせてしまう
私にも問題が?
ともかく、応援合戦の練習は予定通り滞りなく行われたそうです。
体育祭関連の準備はもうほぼ整ったようで
前日の設営に駆り出される生徒たちの用事があるくらい。
あとは本番を待つばかり。
私たちも応援に行きます。
父兄の期待でにぎわう観覧席も体育祭の名物。
海晴姉が中学校に入学した頃からの、我が家の秋の大イベントは
おそらくは、もうしばらく恒例となって続くだろうと予想しています。
私の古い記憶の中では
もう何人も、知っている顔が全力で走りぬけ
来年には自分も姉と一緒に走るんだと誇らしそうに教えてくれたのは
蛍姉だったのか、立夏姉だったのか
時間的には可能性もあり、性格としては少し珍しいと思える氷柱姉だったのか
幼すぎてはっきりしない記憶ですが。
霙姉は、宇宙の流れの中ではあまりにも短い時間だから
早くお前たちも参加するように、
そのころには自分ものんびり応援していられる立場になっているだろうと言いますが
時間を操作する技術はまだ人類の手にはなく、
タイムマシンは十分間乗ったら十分間未来へ進む技術しか実用化していないので
すぐにと言われてもしばらくは不可能です。
今はただ、まもなく広い校庭で胸を張って駆けていく家族を見つめているだけ。
星花姉や夕凪姉は、自分たちが走り出す直前のように盛り上がっているようで
遠くからでも見ていると伝えられるように大きな声を出して応援しようと
現在もう家の中でも大声を出して話し合っています。
この様子から推測すると
小雨姉がなだめようと努力しても
どんどん話が学園祭のことばかりになって体まで動いてしまう力は
数日程度では治まる様子はなく
どうやら星花姉と夕凪姉は、自分の声が届かないかもしれない心配はしなくてもよさそうですね。
麗姉も、体育祭なんだからと小雨姉から熱心に説得されて
しぶしぶ声を出す練習を始めることもある。
ちょうどそこにキミが帰ってきて、直接声が届いたのは
麗姉としては想定外の事態だったようですが
喜んでもらえたならば、それも……
キミは喜んでいたようですね。
照れていたようでもあったし
あまり、今すぐ走り出しそうなほど元気にあふれてはいなかったけれど
それでもなんとなく
そう、小雨姉の言葉では
本番ではお兄ちゃんは私たちの応援をいっぱい背中に乗せて走ってくれそうだね、
と……
応援は肩に乗るような実態のあるものではない。
もちろん、物の例えだと知っています。
でも考えてしまう。
応援には選手の運動能力に作用する確実な力などはなく
外部からの声で、実際に成績が変わったりしない。
ただ見たいからというだけの理由で見に行って
その時にじっとしていられないから声を出しているだけなのに
なのに信じて疑いもしないのは
いったいなぜだろう?
声が聞こえたら、その時には必ず。
自分の思いを知ってもらったら、もうそれだけで
目の前を走る選手が、たちまち勝利の女神の息吹を注がれたように
全力を発揮してくれるであろうと。
なぜ、何の根拠もないとちっとも考えないで
どうしても声を出してしまうのか。
もしも応援が力になるとするならば。
キミも走ってるときには
私の声が遠くから聞こえたら、それまで以上に力を発揮できるようになりますか?
応援はそれほど助けにならないと
わかっているから、おなかから声を振り絞ることはなく
ただ、思わずひとりでつぶやいて、きつく手を握りしめていたと
横で見ていた家族のみんなが、
いつもよりわずかに遠くまで届く声を出した私に驚いて、後で教えてくれるくらい。
毎年それで終わるのが、体育祭の観覧。
何かの理由で、もしも体育祭には応援が必要で
喉を振り絞って声援を届けたらその分だけ力が余計に湧き出すのが本当なら
大きな音が苦手な私でも
もう少し、声を出すようにできるのだろうか。
確か、スポーツマンは練習よりも本番で好成績を出す場合も多く
適度な緊張感は体を動かす際に良い影響があるとも聞きますが
声援が届くことで、本番ならではの緊張感が増すならば
運動能力に影響があるとしても不思議ではない?
ヒカル姉は練習に力を入れる際に意識していることとして
練習は本番のように、本番は練習のように
行えれば理想的だということです。
私の応援している人たちも
練習で培った成果が、悔いなく出し切れるようにと願います。
本番では届かないかもしれませんが
今、目の前にいる時に伝えておきます。
キミが体育祭で全力を出す姿を見たら
おそらくその時、私はうれしいだだろうと考えています。
どうか、キミががんばって走れるように。
私も当日は、どこかから応援しているだろうと思います。