吹雪

『バタフライ』
時間が少しあります。
今日は夕凪姉が
お手伝いのお掃除を
はりきっていたので、
だいぶ早く用事は終わり、
自由時間が増える形になりました。
こういう時、
人には二つの選択肢が与えられることになり、
ひとつは
予定にない何かをするか、
もうひとつは
何もしないか。
目を閉じてゆっくりして、
ときどき周囲を眺める静かな休息を
何もしないと呼ぶのであればですが──
人によってはぜいたくな時間を過ごすとも表現するようです。
今日の私は
休むよりも
時間を使って進めたいことがあります。
読みかけの数学パズルの本を読むか、
もう一度、
ロケット打ち上げの動画をゆっくり見直すか──
余裕が生まれた時間は、
急なお手伝いなどの予定が入らなければ
ほぼ30分です。
どちらを選ぶのか
数秒──
長くとも数分で決定を行うことになるでしょう。
はたして判断基準を
どこに置くべきか?
こういうとき──
他のみんなは
どのようにして決めているのでしょうか。
迷う時。
どちらにも
心が動く時──
この選択は今後に何の影響も及ぼさない
純粋な遊びとして以上の意味を
持たないかもしれない。
あるいは、どちらかを選ぶことで
ほんのわずかに
将来を変え、
巡り巡って
人の歴史のどこか小さな歯車を動かす力になるかもしれない。
晴天という気候が
夕凪姉に与えた喜びと、
行動基準を見つけられない私の気まぐれと、
日本のロケット技術が
この先のすべての未来にどのような力のベクトルを与えるのか
誰もわからないまま
決めなければならないなんて──
これは私がひそかに
どちらの行動も
とても大きなものだと思い込みたいだけの話かもしれないのだけれど。
数秒。
あるいは数分で
何かが変わるのかもしれないとしたら
私は──
どちらかを選んだことを
いつか後悔するのだろうか、
それもまだ予測すらできません。