送り火
そう──
私たち家族の誰もが感じているとおり
確かに夏休みの終わりは迫っている。
白い雲が浮かぶ窓のそば、8月のカレンダーに
窮屈そうに並んだ残りの数字たち。
彼らの全てが一瞬まぶしく輝き
また、全てが例外なく、音も残さず消え去る運命にある。
その日々を潜り抜けた後に残るものは
消え去った夏休みという儚い記憶。
いつかこの身と共に滅びるはずの思い出。
今、人々は終末を見つめながら生きている。
なおも時に逆らいあがき、苦しげに激しくのたうち、
暴れ嘆いて希望に手を伸ばし、時には疲れきった腕をそっと下ろし
おやつを食べたら何も細かいことは気にならなくなって
昼寝をしたりしながら残りの日を輝いている。
終わりを見つめてしまったからには
どうしても真剣になることしか考えられなくて
まぶしく光を放つほかには何も出来なくなる。
家の中どこでも大暴れの我が家にも
やがて来る次の季節は忍び寄り
窓の外に風景の変化を見つめたりする。
青空に広がる雲は今や激しい雨を呼ぶ高い雲ばかりでないと知ったり
涼しい時間に一日分済ませておく宿題なのに
午後になっても続けていられるくらい涼しくなったことを実感など
しているのだろう。
もしかしたら、覚えていないほど小さな頃に
私が初めて儚く過ぎ行く時を知ったのも
こんなふうにはっきりと最後の時を
待っている夏の日々だったのかもしれないな。
必ず終わりがあると知ってから
悲しむことはない当たり前の運命であっても
予感の風が冷たく吹いてくると
人はなぜかわずかにまつげを伏せるのだと
それを受け入れていたはずなのに。
でも、確かに終わりが近づく気持ちを共有できるのが
こんなにも明るく顔を上げて
あまりに愛しい家族であるという現在は
私にとってはなんとなく
静かに凪の海を渡る風のような
ささやかで優しい慰めに近い
そんな気がする。
そろそろ終わりを見つめて毎日を過ごしていく夏休み、
やり残すことがなにも残らないようにと声を聞いたから
やはり夏は思う存分
儚い終わりを迎える運命の花火を
もうやりすぎて嫌になり
夢に出てきてうなされるまで
遊びつくさなければ
それは夏休みを生きたといえないのではないのだろうか。
もちろん、それは言い過ぎだが
遊ぶ理由には充分だからな。
それぞれが残りわずかなおこづかいを出し合って買ってきた
たくさんの花火セットだ。
消えゆく火花を寄り合ってながめる
そんな夜を過ごせるのは今だけだと思わないか?