春風

『春はすぐそこ』
のどかに晴れた
気持ちのいい休日のわがやは
今日も、女の子たちのにぎやかなさえずりでいっぱい。
春休みになったら、種を植える花壇の計画に
小雨ちゃんが広げたノートにはもう
みつばちみたいに小さい子たちが集まって
好きな花を咲かせようとする羽ばたきの真っ最中。
クレヨンと色鉛筆が舞って
もう、
外に出て行けばすぐに実現する春が来たような
そんなつもりでいるみたいにはしゃいでいる。
休日の買出しはいつも大仕事で
頼りになる王子様が隣にいてくれるデートの帰り道、
ついこの間までは、すぐに怖い暗い影が追ってくるようだった時間も
吹きすぎていく風の温度もまだぬるいみたい。
荷物を二人で分けて
空けた手をつないだらそれだけで
もう心配が入らないような気がしてくるあたたかさ。
本当は春風には、少し熱すぎるけど。
どんな冬でも
好きな人がまぶしくて、そばにいると胸が苦しくて
このままあなたのそばにいていいの?
まるで春風は
すっかりだめになってしまうのではない?
おびえるけど。
でも、恋する乙女だから仕方ないの。
苦しくて、たいしたことがない自分が恥ずかしくても
わけもわからずあなたのせいで顔が熱くなってしまっても
離れて遠くから眺めるなんて
どんなにまぶしい光を見つめていたって
春風の体は、怖がりの春風にさえそんなことは許してくれない。
運命の人だから
行きなさい。
燃える体はそう言っている。
王子様、つないだ春風の手は熱すぎたりしなかった?
まだどうにか
寒いから、で言い訳ができる季節。
でも、これからはだんだん
ただ愛しいから。
手をつなぎたいだけ。
他に理由は
何もありません!
王子様は
許してくれるでしょうか?
世界で一番、いけなくてわがままで
立ち止まってためらうことなんて知らない女の子のこと。
だんだん長くなる明るい時間は
まだ薄い頼りないくもり空のようでも
今日はゆっくり歩く時間がいつもよりも長い。
むかし、春風がよくあこがれていた帰り道は
道端にあるバス停の小さなベンチに
好きな人がいて
春風はそれを遠くから見ている。
あまり見られてしまうと恥ずかしいから
屋根がついているバス停の
柱に隠れて
いつか近づけるのかもわからないで
何か特別な奇跡が起こって、せめて声が聞けるだけでもと願うだけ。
生まれたときから恥ずかしがり屋の自分がつらくて
今にも呼吸が止まるほど苦しい胸を抱えながら
恋なんて──
どうして、こんな気持ちに落ちてしまったんだろう。
切なくて
自分が情けなくて
でも、あきらめることができなくて
ただ見つめている。
もしかしたら
いつか。
そんなことありえないとわかっている心の庭の
ふだんは見つからないほどすみっこで
奇跡を信じている小さな自分だけを
その時はずっと抱えている。
やがてはそんな
つらくて、
うれしい恋をするのだと
春風は子供のときから、ぼんやりと思っていました。
バスで学校に通う制服のお姉さんたち
とても大人に見えたからなのかしら。
海晴お姉ちゃんと霙お姉ちゃんは
電車で通う学校に進んで
まだ子供の春風は
あんなに速くて大きな音を出して走るものがあるなんて
すぐには自分の毎日に結び付けて考えられなかったから。
だから、やがて自分が憧れのお姉さんになって
電車で通うようになっても
バス停のベンチで、私の気持ちを知らないままで座っている人がいて
そのそばで
私が、初めて恋をして立ち尽くしているんだろうと。
なぜだかずっと、想像していたけれど。
もしも、あの時に春風に会えたら
春はいつだって
突然来るんだよ、と。
春の風はいつも前触れもなくやってきて
臆病な女の子を変えてしまって
激しく吹き飛ばしていくんだと
泣き虫のほほをなでてあげながら
まだ、その子にはわからないことかもしれないけど
教えてあげているのだと思います。
明日は雨の予報。
もう、このあたりでは小さい子が待っている雪はなさそうかな?
晴れていた日に、お買い物の用事をみんなかしこく済ませたことは喜ぶべきなのだけど
だんだん明るい時間が長くなる帰り道が
もう少しの間続いていたら、
もっと、ずっと遠くまで続いていたら
いいのになって。
春風の熱い手のひらを固く握りながら
王子様は思ったりしなかった?
もし今日、何か買い忘れた物があって
うっかりお財布を忘れて春風が飛び出して行ったら
きっと傘なんて目にも入らないだろうと思うから
かわいそうにずぶ濡れになってあなたを探してさまよう春風を
どうか、すぐに見つけ出してあげてください。