『くしゃみ』
おそらくこれは
風邪なのではないかと思う。
ぞくぞく寒気がするのだから。
しかし、本来冬は寒いものだし
体温計で計っても熱はなく
おでこを触ってもらっても
どうだ?
たいしたことはない。
横になって休む必要があるのかどうかというと
やや怪しく見える。
確かに、風邪の引きはじめなのかもしれない。
こんなときは大人しくしていたほうがいいと
もちろんよくわかっている。
いつもの調子で、愛する家族を言葉巧みに誘い
こたつにひきずりこんで暖めてもらうなど
体の中で密かにうごめいている風邪をうつしてしまうことになりかねない。
うつせば治るとは言うものの
試すわけにはいかないから。
このまま私は
寒さの厳しい冬を、苦しい眠りに落ちて過ごすのだろうか。
目を閉じて
闇に沈みながら
遠く彼方から届く
家族が心配している声を聞いて
もどかしく、粘つくような眠りの中で
心配をかけてすまないと──
それから
せっかくだから栄養をつけるために
おかゆはできれば大盛りがいいかもしれないと
ひとり、静かな部屋の虚空に呼びかけて
体調が戻るのを
ひっそり待つことになるのか。
これは確認するまでもないことだが、
私のことを
心配してくれるだろう?
いつもやさしく慈愛を込めて
かわいい弟を見つめてあげている姉のことを。
時にはためになる話で
後進のかよわい家族たちを導き、
また別の時は彼らの挑戦を
余計な手出しも口出しもできないそれぞれの道を行く
その背中を見守って、何かあったら支えてやろう、
疲れて帰ってきたときに
そっと温かな空間を用意して待ってあげようと考えている
健気な姉がいることを。
いつも家族をおもちゃにして喜んでいるなんて
勘違いをしている子もいるかもしれないが
ちゃんと考えた上でのことで、
やがて全てが避けようのない定めの果てに無に帰るとき、
愛していると伝え切れなくて後悔することのないように
大げさでも、愛情表現をしておきたい。
ちょっとくらい困らせてしまっても
気持ちを届けられないよりも、ずっといいはずだから。
その存在感に気がついたときには
もう、眠っていて言葉もかけてあげられないなんてことになったら
きっと悲しいだろうから
先に言っておこう。
このように、思いがけなくくしゃみが出るようなときに
よだれが飛ぶから!
と、さみしい言葉で反応するばかりではなく。
素直に心配だと伝えられたらいいのではないだろうか。
愛を言葉にして伝えるときに迷わなくてもいい、
行動で表現することをためらう理由はどこにもない。
私が今寝込んでしまっては
せっかくの冬の楽しみの
暖かい鍋物もラーメンもうどんも
チョコレートも焼き芋も
ついでに節分の豆も
あらゆる快楽を共にする喜びを
オマエは手放すことになるのだ。
それはやはりつらいことだろうと思う。
今年の冬も、やがてのどかな春が来てもその先も
また来年もオマエと変わらず家族でいるんだと
いつも正直に隠さず、私は願いを伝えて続けている。
でもだからといって
来年があるから
もし今年は体調を崩して楽しめなくても我慢しましょう、
などという殊勝な考えは
愛するものと家族でいられる喜びを知っている今の私には
とても耐えがたい未来だから。
うつさないように、少しは大人しくして
過剰な接触も、わずかな間だけはこらえよう。
風邪だったら重くしてはいけないと自己管理をする
感心なかわいい姉のために
届けたい思いがあまりに多くふくらんでしまっても
遠慮せず、伝えようとしてかまわない。
どんな優しい言葉をかけてあげてもいいと思う。
私はいつでも
オマエの温かな気持ちを残らず全て
喜んで受け入れるつもりだ。