『騒動』
宇宙の片隅の
塵のようにちっぽけな人間たち。
誰が知るだろう──
どっしりと動じる気配もない
この頑丈な家の中で、
嵐のような勢いで
はしゃいで駆けまわる子供たちによって、
目に見えるものはすべて崩壊し、
悠久の年月の経過を待たずに
塵となろうとしているなんて──
あの星の海から見つめたら
想像もつかないことだろう。
古新聞をのんびり読んで
休憩にお菓子を選ぶ余裕もないということ──
あるいは巨大な宇宙船に乗って
星に降り立ち、
開拓していく生き物を
宇宙の歴史において発見したことがある存在ならば
ここに似た景色を見つけるのだろう。
複雑なつくりの機械の手を借り、
またある時は単純な筋肉の力により、
あるいはたくわえた知恵で──
全てを失ったとしても
不屈の意思で──
生命が自らの可能性を追い求め、
ただ生きるという姿を
誰かが観察したに違いない。
ここで行われているのは
開拓よりも
ただの片付けに近いのだけれど、
人の可能性という概念の
拡張を試みる行為としては──
言い換えるならば、不可能を可能にするという意味であるならば
大空を超え
星に降り立つのと変わらないと思う。
大掃除──
年末の片付け──
私たちが過ごし
まもなく終わりがやって来る一年は、
これほどまでに
うまくしまい込むのが困難で
無数の出来事が数えきれないほど
積みあがって──
誰にも全容をあらわにしない。
ただ巨大であった──
おそらく、そういうことなのだろう。
片付けが苦手な子が多いのではないかという推測は
証明が難しいので、
いったん忘れておこう。
仮にそうだったとしても、
片付けはするものなのだから──
オマエもこの家にいるのだから
いろいろあっただろう。
捨てられないものも多いだろうと思う──
片付けても片付けても
置く場所がないのは、
果てしないこの宇宙すら
人間には小さいと教えているようだ。
そして今、私には──このあまりにも人間らしい戦いに挑む前に
休憩が必要な気がする。
さて問題は
大掃除を始めた家の中、
はたして、静かに息をつく場所は見つかるだろうか?
家の隅まで押し寄せるのは、
誇り高く一年の思い出と格闘する者たちだ!