『夢の中』
あれは夢を見ていたのだろうか。
裾野を広げてそびえる富士の山に
日の出の明かりが射して
まぶしく、神々しく
なぜか目を離せなくなる。
心を捕らわれるとはこのことだろうかと──
早朝の空気に冷えた体を
おしるこで暖めながら眺めたあの景色。
私はいつから
美しさを知るときに
自分の中にとどめることができなくて
誰かに聞いてもらわなくてはいられなくなったのだろう?
ふむ、
きれいだな、
とてもきれいだ、
おしるこがおいしい、と
相手がまるで口を挟む余地も与えずにいた私は
夢では幼かった頃に戻っていたような気がする。
その時にはまだ、優しく笑って話を聞いてくれるオマエには
出会っていなかったはずなのに。
どこかで聞いた話によると
初夢に富士山が出てくるのは縁起がいいらしい。
それからあとは
鷹の夢、
なすびの夢。
別に私一人で縁起が良くならないといけない理由はない。
確か、鷹ではないらしいが
そういえばヒカルが
優雅に泳ぐ白鳥が
水面の下で懸命に足を動かすことでしか
進むすべを知らないと
夢の中で白鳥に変わっていた自分に教えてもらったと
元気良く走り出して行ったが
鷹と白鳥は似ているところも少なくないな?
それでいいということにしよう。
同じ部屋にいた春風によると
この縁起のいいといえなくもない感じの夢の欠点は
寝相で布団を蹴ってしまうから
かけなおさないといけなくなる点にあるらしい。
同じ部屋が春風でよかった。
縁起の良さもヒカルだけでなく春風の助けもあったおかげだ。
あとは、なすびだな。
なすびか──
しかし、いくらなんでもなすびはないだろう。
時期がちょっと合わないし
これは時代が違う気がする。
おしるこを食べていたので
現代はおしるこの夢ということに
私が決めてしまっても特に不都合はないと思うが
オマエももちろん賛成してくれるだろう?
どうもお正月を迎える前に楽しみにしていた
寝正月であっという間に過ぎていく三が日とは
わずかに違った過ごし方になったかもしれないが
いつもの年と比較してもよく寝たことで
これは縁起がいい夢を見るチャンスが増えたと考えれば
まあそれなりに悪いことばかりでもないだろう。
ああ──それにしても
あらゆる宇宙の構成要素が終末を迎える定めの通りに
はじまったばかりの年でも
お正月の終わりを感じることになる。
過ぎ去る時間を無駄にしないように
今年一年を悔いの残らないよう
楽しい毎日を求めて過ごそう。
その日々には、もちろん私の隣にはオマエがいて
たくさんの話を聞いてもらったり
食べたりないおしるこを一緒に食べてもらわなければならない。
うん、考えてみたらどうやら良いことが続くじゃないか。
何もかも、初夢の告げるとおりだ。
え? 初夢を見る時刻には昔からの決まりがあるって?
そんな決まりは宇宙の塵よりも小さなこと。
いい夢を見て気分が弾んだら
それだけでかまわないんだ。