『ウクバール』
新しい令和の時代がやってきましたが
ゆうべ、お祝いの食事をしたあと──
二日目の現時点では
私の家族に目立って大きな変化は
観察できません。
ニュースでは新元号に対応する話題もありますが
ここは影響が小さい環境なのでしょう。
家事の手伝いをして
小さな妹たちと遊んであげて
時間が出来たときは
本を開く。
これまでと少し違っているのは
読み進める百科事典の目印に挟んであるしおりが
先のページに移っていることくらい。
でも時代が変わっていけば
事典の内容も増え──
まだ見たことも聞いたこともない項目が
生まれ続けるのでしょうね。
そのような意味において
私はまだ大きな変化を実感しない
令和という時代を歓迎します。
たとえばページを繰るごとに
飛び込んでくる
新しい発明の話。
生まれたての理論の話。
事典に新しい項目を刻んだ
これまでなかった人間の名前などを
別の版が出るときに知ることとなるのでしょうね。
そこには簡潔にまとめられた事跡と
曖昧なままの詳細があり
より内容が充実した記録を手にとるまでは
確かでない──
しかし明らかに存在する日々があることを教えている。
次に名前を記録される人物がどこかにいるとして
令和の時代の二日目に
洗濯物の色落ちを見つけて悲しんだり
卵の殻を中心付近からふたつに割れたことを愛しい出来事として語る記録は
果たしてどこかに残るのだろうか、
それは事典の簡潔な一項目のように
空想で多くを補う
まだ見ぬ未来のひとつです。
私がいつか記録を残したいと思う人は
今この瞬間において
一人と限定することは出来ず──
いつかページをめくる指先が
気まぐれにペンを握ることがあれば
きっと自覚もなく
大変な道に踏み出していくのでしょうね。
新しい可能性を期待しているという観点からも
こうして過ごす一日は
令和を歓迎する日であると言えるかもしれません。