吹雪

『ミステイク』
人が積み重ねた経験が
本棚の百科事典に収まり
歴史と呼ばれるようになる。
私が両手で持てる重さの
一冊の書物は
人間たちの好奇心と情報集欲の集積によって
際限なく湧き出す知恵の泉となり
私たちに豊穣な時間を与える。
両手で広げたページを満たす文字の羅列には
どれほどに人の心を魅了し
時間も空間も渡らせて
見たことのない場所へ私を届ける力があるか
そのエネルギーを計算するのは大変に難しいようです。
また、小さなデバイスが世界中の知識とつながり
手のひらの上で最新の情報の一端に触れることもある。
かつてはスピンドルメディアおよび入力デバイスの大きさの
限界に従うしかなかった情報機器の重量は
日進月歩の技術開発競争が
数え切れない革命的な変化をもたらし
今に至る──
もはや誰一人として
明日の人間たちの姿を予測できないと
認めざるを得ないのが
私たちの日常。
はたしてこの時代が
歴史にどのように記されるのか
現代を生きる私たちの答えはない──
それが情報端末の現状です。
この状態を
便利になったと──
言うのだそうですね。
私の近くにいる人たちの影響力が強いのはもちろんのことだけど
いまだ会ったことのない人たちの過ごした日々は
ほんの一年生になったばかりの私さえも──
想像もできなかった景色のある地へと連れて行く。
情報量の多さは
見た目の体積とは必ずしも比例関係がなく
私は自分から望んで
たくさんの知恵を得ることができる──
ああ、それでもなお
知識は成長中の現時点における
体の限界を超えられないのではないかと
無力を実感するばかりなのはなぜでしょうか。
経験の不足も手伝っている可能性がありますが
一本のにんじん、
一個のピーマンに
新鮮さや味の良さを判断するどれだけの情報量があるのか
今の私には正確な理解が難しく
買い物においては結局、
ショッピングカートを運ぶお手伝いにとどまるのみ。
トランプのゲームをして
私の手札から正確にジョーカーだけを残して持っていく
氷柱姉の指先の動きなどは
考えても考えても答えが出ない。
どうやら知識の助けにすがるだけでは
人は無力なのかもしれないけれど。
この手の上に集めた無限に思える知恵が
例えどれだけ役に立たなくても
私の目を奪う美しい知識たちと
それを求めようとする感情に価値があるのだと
思い込みだとしてもそうであって欲しい。
ただ一人で願うだけです。
現在はそう考えていますが
もしも情報を求める行動に
何も役に立つ理由がないとわかった場合を想定しても
私は個体の意識、
言い換えれば個人的な好みに支配されて
結局最後まで行動は何も変わらないかもしれません。
私がどうするのか、今はわからなくても
いつか答えは出るのでしょう。