『年末の思い込み』
誰にでも平等に与えられた365日を
人は一年と呼ぶ。
それが終わるとき
意味を込めたり
区切りをつけたり
気持ちを新たにしたりするという。
あっという間に過ぎるとしても
終わりを迎えるときには
それぞれが何かしらの感慨を得る。
この一年、
元日の目標とともに歩んできたな。
妹たちは
こんなはずじゃなかったと、
もう少し好き嫌いなくバランスよく食べて
ぐんぐん背が伸びているはずだったと嘆いてもいる。
虹子など、かなり背が伸びたのに
まだ足りないらしい。
モテモテの
モデル体型には
どうやら一年では辿りつけなかったようだ。
残念なことだ。
しかし、過ぎ行く時間のように平等に
私たちは次の年へ歩むことができるのだから
またチャンスはあるだろう。
ぜひ来年は手足がすらっと背も高く
かっこよくなっていればいいと思う。
それに似合うおしゃれも
大人っぽい話し方も練習中。
きっときれいなスタイルも似合うことだろう。
それにまだ今年は
今日が終わってもあと四日あるから
前向きな子達の間では
チャンスは充分、という声もある。
なんと
今年はあと四日もあるのだ。
それだけで
できないことはない。
と、そんな意見の子がいる。
ふむ……
この一年をともに歩んできた
愛する家族が言うのだから
きっとそうなのだろう。
時間はまだまだ限りないのだ。
もしかすると
ぐんぐん伸びすぎて
追いつけないと思っていたオマエの身長も追い越してしまうかもしれない。
私たちすべてに与えられた時間とは
おそらくそういうものだ。
私も今日は
みんなに合わせてやさしいホットミルクを飲んで努力してみよう。
明日の朝が楽しみだな。
あと四日過ぎた頃、
家族で一番背が高くなっていたら
今年を誰にも負けないほど目に見えて立派に過ごしたような気がするかもしれない。
すごいだろう、と
誇りを持って。
かわいい家族たちも、そんな実感があればいいのにな。
本当は伸びていなくたって
みんな、胸を張っていいのだと
ずっと見てきた私は知っている。
だけど年が終わる一抹の寂しさで
そんな、なんでもできそうな気持ちになるのが難しいときもあるようだ。
あるいは寂しく感じているのは
明るい声ではしゃぐ家族たちよりも
ふと終わりが来ることに気がついた
私の心のうちが理由なのかもしれない。
まあ、いつものように忙しくしているうちに忘れていくだろう。
誰にも与えられた
まだあと四日の今年を
できればちょっとくらいは有意義に過ごしたいものだ。