氷柱

寿限無
いきなりだけれど
たとえ話によくある猿とシェイクスピアの話をするわね。
良い子は黙って聞くのよ。
猿がでたらめにタイプライターを叩くようにして、
今この場合では、ある日本語訳のシェイクスピア全集が
一文字も違わず完成するまで続けさせるとする。
完成する確率を数字で表すとどれくらいか?
試行回数はどれほどになるのか?
今は正確な数字を計算しないでおくけれど、
一組のトランプを切り交ぜた時の組み合わせの数が
銀河系一つの素粒子分に等しいという計算もあるそうだから
おそらくは──
天文学的な確率と言ったときの一般的な想像を
大きく上回る数字が出ると思われる。
宇宙のすべての素粒子を十進数の一桁に使ったとして
はたして数は書き上げられるのか?
足りなければ、あといくつの宇宙があれば充分なのか?
ひとつ? ふたつ?
百……千……万……
とてつもなく低い確率というのは存在する。
でも、足りなければ一つ足していくのを続ければ
宇宙の数を延々と足していった果てに
書き表すことができるのかもしれない。
では次に、無限についての話をするわね。
一つ足していくとする──際限なく。
順番に、限りなく。
無限に至るまで。
このように、いつまでも続けることの出来る場合に使われる
無限大とは、整数ではなく、いかなる種類の数字でもなく
ただ際限がないという性質である。
シェイクスピアのたとえを考える時、
無限の宇宙を想定する必要はあるのか──
一億……一兆……
どんなに限りなく見えても、いつかは終わりがあるのでしょう。
果てしないようでも──これはおそらく永遠ではなく
無限とは言えないわ。
あさひが旺盛な食欲を発揮し、
よだれでべとべとにした本と作文の数、
それを拭いてきれいにする作業が
いくら多くても
あさひのよだれの作業量はきっと無限ではなく──
それに対して
伝記や物語を読んだときに生まれた将来の夢や
これからみんなが出会うお話の数、
新しく生まれる願いや未来、
麗ちゃんが出会えなくなる好きなものと比較した場合の
これから見つけるとてもすばらしい発見の数は──
現時点では制限する要素の少なさと
みんなの元気の量から推測するに
無限大と表現するのは何も問題がないのではないか、
ということを
吹雪ちゃんと少し話したの。
人間の寿命という制限は
天文学的な確率の前では──そのうちきっとなんとかなるわ。
少なくとも猿がシェイクスピアを書き上げる確率は有限なのだから
人間だって何かが叶う確率は
そこまで悲観するほど絶対とは言い切れないのではないかしら。
ほら、手を休めないで。
みんなの作文を救うにはもう少しの手間が必要になりそうよ。
これはただの休憩中の息抜き。
本当かどうかは──嘘か本当かどうかも──
きっと、まだ誰にもわからないわ。