観月

『宴の時刻』
わらわのおどりを見たいのか?
昔から踊りには
不思議な力があるとされ、
神性を称え
霊を慰め
八百万の国で
日々を安楽に暮らしていくための
手段のひとつでもあった。
雨を呼ぼうと
龍神に舞を捧げ、
隠れたおひさまを誘い出そうと
楽しい踊りの声を聞かせる──
人の身でどうやら工夫をつづけ
神秘に触れることを叶えた
術のようなもの──
とも言える。
でもそれは
願いを届けようとしたり
感謝を伝えるためであったり、
普通の暮らしと地続きで──
ハレの日に着飾り
技を尽くす時も
毎日そうしているように
泣いたり笑ったり
人を愛したりするのと
ちっとも変わらない行動なのだと
思うときもある、
失った何かを思い
安らかであれと願うのは、
常世に行けるものがある限り
いつまでも変わらない。
悲しみが簡単に消えるものではないと
生まれてきた全ての命が知っている。
つらい世の中に過ごす毎日の中で
もしもほんのわずかでも
たまに巡り合う慈愛に感謝することが
できるのならば
うれしい気持ちはいつまでも
心に残って消えない──
そんな感情をこの世界に生きるものなら
誰もが確かに知っていて、
そして決して忘れはせぬ。
みんな、生まれたときに持ち合わせた
恵みからのそのまま続きじゃ。
踊りの不思議な力も──
うれしいときに喜ぶことができる全てのものに
最初から備わっているのであろう。
わらわの踊りは
まだそんなに上手ではない。
人に見せて褒めてもらえるものではないぞ。
でも──それでも
みんなとこうして過ごしている日々の気持ちが
きっと見ただけですぐわかって
恥ずかしいのじゃ。
それでもよければ──
観月の渾身の舞を見せようぞ。
いや、もういいと言っても追いかけてつかまえるぞ。
儀式のように面を付けていてもきっと
わらわの思いがすぐあふれ出るのじゃ──