『破壊』
それはまるで
人よりは猪に近い生き物として生まれたような、
あるいは広大な海で目覚める
大怪獣のような、
遠い星の苛酷な環境で働くことを目指し
人の知恵を結集した
SF映画で見た強靭きわまる装甲のような。
別にさくらに限っただけの話ではない。
子供たちはみんな
ぶつかるものをなぎ倒し、
目に見えるなにもかもをひきずり倒し、
足の裏が行く先にたまたまあったことごとくを踏み抜き。
宇宙のありようである
形あるすべてを塵に帰す作業に
精力的に力を貸しているといえる。
これというのも
忙しい年末やクリスマスの準備が重なって
そこらじゅうにものがあふれているからに他ならない。
破壊できるなにかがあれば
それは必ず子供たちの手によって
粉々にされることを運命付けられているのだ。
家の全てが楽しそうな品々に埋め尽くされているというのなら
それはまもなく鳴り響く破壊音を詰め込んだ檻に他ならない。
もちろん怪我をしそうな危ないものは
小さい子の手に届かないところにしまっておくのだが
なぜか元気な子供たちは
こちらの想像もつかない行動をとり
ひたすら危険のほうへ向かって突き進んでいくんだ。
その結果、
壁に穴が開き天井は崩れ
この家もまもなく風に吹かれる砂となって消えることとなるのだ。
きっと子供たちには
この世界が面白そうなものばかりの宝箱で
恐れを知らない澄んだ瞳には
私たちが見るのとはまったく違う景色が見えているのだろうな。
もしかしたら私も小さい頃はそういう子供で
目に入る形あるものも
我が家までも何度か塵と変えていたのだろう。
思い出すと無邪気だった頃には
どんなことでもしていた記憶が蘇ってくるな──
世界はまだ知らないものに満ちて
ただこの手で触れたくて
壊すことなど考えもせずにぶつかっていくんだ。
だがそれは本当に
子供の頃ばかりにとどまる話なのか?
知識が増えるほど
自分が知らない世界があるとわかり
触れたことがない場所の存在を
私たちは予感する。
側にいる人の心すら知らない私は
もっと知りたいものがあると気付くと──
ふーむ、だとすると
子供の頃ほどクリスマスが特別わくわくする行事でもなくなるのは
すでに季節も日も問わず
一年四六時中が
破壊してでもぶつかっていくに足る何ものかを詰め込まれた世界であることを
理解したということかもしれない。
まあ、それはそれでクリスマスは楽しいんだ。
本番が来るまでにどれほどのものが子供たちの前で形を捨て
私に無常を教えてくれるのか──
これは小さな妹がたくさんいる私でないと経験ができないすばらしいことだ。
妹思いの私のところにサンタはやって来ると信じている──