吹雪

『ディクショナリー』
右手の動きはどうなのか。
左手はまったく違うのか。
動力となるのは酸素と肉と
神経を伝わる微弱な電流。
まったく同じ構造にすれば
再現は可能なのか。
実は、考えていることがあります。
人間とは情報で構築されていると考えてもいい存在です。
全ての構造を分析して
情報の形に組み立てなおし
書き表すことができるはずの存在。
宇宙の全てを数式でまとめるには
少し今の科学から見れば
情報量が多すぎる可能性がある。
全ての粒子の動きを記録するのに
最も小さな粒子よりも小さい文字は使えないので
宇宙を書き表すには宇宙よりも大きなノートが必要になる。
つまり理論的には平行宇宙と情報をやり取りするなど
一つの宇宙を分析するために、数多くの宇宙を利用しながらの研究となる。
平行世界の数は無限であるので、これは不可能なことではない。
ただ、とても遠い道のりだと言うだけです。
ここまでは理屈の上でも感覚的にも
何も問題はない。
ところが人間を情報として扱い始めると
その量が宇宙よりも大きく膨らみ出す。
この宇宙を隅まで数式で埋め尽くしても
人の心は読みきれないのではないか、
いつまでも次の行動さえ予想できないのではないかという不安。
未踏の分野を行くときに付きまとう
前に向かっているかどうかさえもわからない進行に
一筋の光明を与えるのは
疑うことも忘れて
ひたすら進み続けるその歩みそのものでしかない。
と、私の経験では
学習することについてその程度の認識しかないのです。
だからつい
時間も人目も頭から吹き飛んで
ずいぶん長いこと
キミの後ろばかりを追いかけている
そんな日があったとしても──
平常運転だと思って気にしないのが一番でしょう。
もしも尋常ではない行動だったとしても
探究心の働きを私は止めることができないのだから
いつかはこれが当たり前だと言えるような時を
必ず通過する前提として待つのがいいと考えられる。
答えに辿りつくまでの定理となるのが
研究を続けることも受け入れる
理想的な状態の私たちの生活なのでしょう。
そうであればいいと思います。