氷柱

『変身』
お面をつけると
自分じゃないものになりきれるっていう
子供っぽい話。
もちろん節分の話題よ。
他の何物でもない。
そりゃまあ、演劇の分野などでは
伝統芸能でも現代劇でも、つまり時代を問わず
演出面や、またテーマ性の表現でも効果がある
文化的な視点でも重要な道具であることはよく知っている。
私、見た目どおり博学だし
勉強熱心だから
知らないことなんて何一つないわ。
ええ、冗談だけど。
節分の鬼のお面は
民俗学的な意味合いが強くて
もともとは地域によって鬼の面も違うし
さらに突き詰めれば、言い伝えもそれぞれだし鬼の位置付けも変わってくるし
儀式の手順、その意義なども細かく見れば違ってくるの。
詳しいでしょう。
ほら──妹たちのために調べようかなーと思っただけ。
いくら私にも幼い年齢の頃があったといっても
一年に一度、家の中にやって来る
非日常的なお祭り空間に影響されたなんてことは
まず考えられないから
なんかいつの間にか知識を持っているのは
きっとみんなに学んでもらいたいという
向学心のあるべき姿を発揮したといえる理由なのよね。
まあ理由なんかどうだっていいけど
ともかく本来の意味合いを離れてしまって
鬼のお面をかぶって逃げ回る行事が
子供だましに見えて仕方ないから。
豆を撒いたら福が来る、
鰯を食べたら福が来るとか
そんな簡単で単純すぎるのってどうかと思うの。
幸せな考え方でいいわね。
ふん。
だから私ができるのも
せいぜいが表面上のお付き合いで
ぱらぱら豆をこぼす程度よ。
よく覚えていないけど
去年、やっているうちに妹たちに合わせて
ちょっと声を出した場面も
なかったとは言わないわ。
もちろん、あとから思い出して恥ずかしくなったりなんてなくて
すべて計画的な行動だったのよ?
おととしも少し──それに似た記憶もないではないような気もするけど
ぜーんぶ
わかっててやったことだから!
それで誤解されるのもどうかと思って
今年は大したことは何もせず
福を呼ぶのは妹たちに任せておこうかしら、
と思って。
それに、何か──
義務感でチョコレート作りを少し手伝う程度のことをしていると
姉様たちがからかって
氷柱ちゃんも素直になるために
かわいい女の子の仮面をかぶってみたらいいんじゃないの、
みたいなことをね。
まあ、どうでもいい話ね。
素直になることくらい──
私だって知っている。
いつも自分に素直に行動しているっていうの!
ああ、それにしても
お面とかばかばかしくてくだらない。
人間、頼れるのは自分の力だけ。
お面をかぶって変なものに化けなくても充分やっていけるんだから!