吹雪

『再起動』
去年も無事に12月31日を迎え、
お正月は過ぎていこうとしている。
毎年聞いている話では
晦日という日は静かで鐘の音だけが響いて
一年の終わりとまだ見ぬ次の年を思う時間になるという。
また、お正月は
新しい年への期待と
真新しいまだ見ぬカレンダーをめくる少しの緊張で
身の引き締まる貴重な経験ができるとか。
そして新しく迎えた年末年始には
またも聞いた話と実際に起こった出来事の差を埋めるために
情報を整理する必要があることを感じます。
晦日は年越しの時間まで起きているために
眠気に耐えたり、年が変わる時間には起こしてと頼み込んで
もちろん起きられずに起きている人間だけで大騒ぎをしたり
誰かが声を上げて鐘が鳴ったかと確認する数秒の間
年の終わりをしみじみと実感するという鐘の音を聞く。
家の外から届く年越しの習慣は大晦日にはそれだけ。
新しい年に現れるまだ幼い年神は
まるで家の中でくつろいでいて
年明けの瞬間の騒ぎで気が付き、ようやく背を伸ばしたような
一年おきの風景。
たった数日の間に
私の処理能力を超える情報量が流し込まれていく。
振袖を身につけたときの動作や
書初めの手順なども、
また、お正月だけの遊びのルールを学び、
特に福笑いの正しい並べ方に工夫をするなど。
何事も適切に並んでいる上体が理想的であるのに
目隠しをして行うことになるとは──
この挑戦を受けて立ち
勝利することができたなら
おかめの福福しい笑顔が今年一年も良いことがあると知らせてくれるような。
うまく並べれば
優しい顔をしています。
その表情を可能にするのが
目隠しをされても動く私の指先であるならば
困難であっても立ち向かうしかない。
そういう遊びでは──
ないと聞きますが──
私の理解するかたちでは
これがお正月の楽しみとなります。
家族の何人かが
今になってだらだらしているように見えるのは
お正月気分が抜けないのとよく言われるのと
実はまったく逆で
年末年始の膨大な情報量を処理するのが目的なのではないだろうか。
気持ちを切り替えて
何もかもが新しい新年に踏み出していくには
ここしばらくの出来事を思い返し、
蛍姉がまだ残っているとおすすめをするおせちの残りを
家族全員でゆっくりつまんでまとめた頃になりそうです。
友人の新年会のお誘いに出かける姉やキミなどを見ながら
お正月の片づけをすすめていく。
華やかでありながら非機能的な装飾も、福を勝ち取る縁起にちなんだ遊びも
気がついたらやって来て
想定していたよりいくらか早く過ぎ去っていったような気分になるものなのですね。