『あらゆる種類の計画』
どうもおかしい。
凍える寒さが普段の年より早く訪れて
年末のスケジュールを立て直してから
何日か過ぎた。
春風や蛍を言いくるめて
クリスマスやおせちの準備は早めにさせて
味見を楽しむ日々はすでにここにある。
でもどうして
帰るなりこたつに潜り込む横着者はまだ数えるほどで
あとわずかの夕暮れを限界まで楽しむほうが主流派となっているのか。
みかんもつつがなく備えて
こたつの上にはお菓子もある。
ちらっと脇を見れば積み木もすごろくも出番を待ち構え
湯沸しケトルと茶葉も揃えた。
そうしたら毎日やって来るのは海晴姉だけで
外のみんなは元気だ、
私たちもまだ若いんだから見習わなくちゃと
むしろお年寄りみたいなことを言う。
どうなっているんだ?
冬はもう疑いもなく
私たちの隣にたたずむではないか。
音もなく表情を変える四季は今、
一年で最も静かで
孤独と憂愁の穏やかな笑みをたたえる。
あとは雪が降るまで
こたつで眠ってもいいのが
寒さを耐える厳しい冬というものではなかっただろうか。
自然が私たちを拒絶する以上
100パーセント絶対確実に
ヒマな時間がやってくるはずなんだから
どれだけのんびりできるかが
人間の自然なあり方というものではないか?
いろんな遊びを考えたんだ。
こたつでできるものばかりを。
だが持ち込んだ雑誌や、テレビのニュース番組では
これから忙しない年末だとか言い出す。
終末にあらがう行為は儚く
ただ人はそれを見つめるのみであったろうに。
外の子供たちも世間に影響されたわけでもないだろうが
今になって日差しのありがたさを知るという。
ああ、私たちはやがてこたつの去る日を怖れるのに。
楽しいんだぞ?
ただ暖かくして過ごすことの喜びは
確かに感じられるものだ。
私の記憶で揺れる美しい寝顔がそれを伝えているのに
どうして理解されることが少ないのだろう。