『人知の檻』
ちっぽけな人間たちの20人きょうだい、
私たちの視点で見て
好きなだけ駆けて遊びまわるには小さすぎ、
しかし大きな姉や兄のもとへ集まる性質を持つ寂しがりたちには
少し広すぎるかもしれないこの庭。
緑の葉が揺れる樹の根元の
背を伸ばした草むらにかがんで
ありんこの歌を即興で作りながら
何かを──たぶん、ありんこを探しているのは
土や小石や小枝をいじり回すことに慣れた
青空と虹子だ。
すぐ隣で草むらを探るのは
先ほどおもちゃの部品を落とし
大慌てしていた麗と
それを探すのを手伝おうとして小銭をいくらか落としたらしい小雨だ。
ちなみにおもちゃの部品はすぐ見つかったようすだ。
そしてそれを離れて眺めているのが私で
その私が何もせずに立っているのかと
うっかり近づいてきて
小難しい話につき合わされようとしているのがオマエだ。
あそこで同じようにしている
地を眺めるしぐさも──
ある者は喜びの歌を、ある者は涙の小粒をともない
それぞれの揺れる感情に動かされている。
伸びた草むらの影に埋もれているものもまったく違う。
それでもあの子たちは同じ動作を続ける。
根気強く、疲れを忘れて
飽きるときまでか、あるいは次の目的を見つけるまで
長いときを過ごす友のように一緒にいる。
これから望むものを見つけられるのか、まったく違う何かが手の中に残るのか
見ている私であってもまったくわからないのも同じ。
なんだかまるで
あの姿は──
いつか宇宙がその本来の形に戻る時へ、
そう、終わることのない静かな夜へと向かって歩く私たちと変わらないのではないか。
笑う日も、励ましあう日も
違うものを探す日も近くにいる。
何があるのか誰にもわからない暗がりを前に汗をかいて
夢中になって、他の何も思いつかないでいる
あらゆる小さな命たちの
逃れられない宿命。
きっとそれがあるべき姿、
いつかは自然に受け入れることができるはるか先にそうしている姿なのではと
そう思った。
いや、ときどき考えていたことを思い出した、というべきか。
もうすぐ葉は落ちて
強い日差しの下にできていた闇も消え、
足元の草はしばらく身を横たえて休息のときを知る。
そうしたら私には今まで見つからなかったものが見えるのだろう。
もしかしたら転がった小銭をついに小雨の手に戻せるのかもしれないし
今まで見たことのない家族の姿に
また人間たちの変わらぬ宿命や
もしかしたら、今まで考えたこともなかったような
新しい発見が
いつか終末を迎えるまでの身を刺激することだってあるんだろう。
この先にあるものを私は何も知らない。
暗い影の奥を私は怖れるのか──
それとも、見えないからこそ惹かれるのか。
闇は常に私たちを試し、私たちの側に寄り添うのだ。