観月

『かがやき』
きこえるぞ。
山の声
海の声
うごめくすべてが
変わりながらたてる音。
叫びも嘆きもそれに似たなにごとかも
いつでも起こる自然の一部。
退屈も一休みもどこにでもあり
心を許したものに打ち明ける秘密もまた
隠さず開かれるときもある。
どっしりかまえたお山は
今日の雨をいっぱいにたくわえて
むにゃむにゃつぶやき
満足げにまどろんでいる。
のどをうるおす雨は
いつでもちょうどよく
しぶきが飛び散るそこそこの流れを作ってくれねば困るもの。
この季節に開く桜も
今はまだ眠るつぼみも
多すぎず少なすぎずの雨を望んだ。
そうしてきれいになるようにと生まれた。
だからせっかくの休日に
こどもたちの期待していたお目当てのお出かけ予定が
雨によって残らず溶ける遠い泡沫の夢に変わり果てたとしても
ずっと昔から
おそらく人が生まれるよりも前から
山も海も重ねてきた経験だ。
今さらがっかりするのも
すでに誰もが通ってきた道。
定番といえばそうではあるが
最先端の流行を追い求める乙女の情念とはあまり相容れないであろうと
まあそんな感じで
うるさい子をごまかしたり
ごろごろ過ごす日の言い訳を作ってみたりしたらいいのではないか。
わらわもまだ幼さで武装してありきたりなわがままを言ってみたって
きっと許してもらえるほうだと思うが。
こんな雨の中に濡れに行くのも
お出かけをきっかけに事態が進展するという想像よりは
ぬれねずみが廊下を水浸しにしてつるつる滑りながらお叱りの声から逃げ回ると
そういうことになりそうな予感が
ありがたいお告げのようにどこからともなく降ってきた。
だから今日は家の中が遊び場じゃ。
まあ、そこらじゅうが泥跳ねを連れ帰った足跡で濡れるよりはずっとましだと
多少の騒ぎも大目に見てもらえるはずで
そううるさくは言われまい、
日頃から鍛えた力のおかげでぼんやりそんな未来が見えると……
兄じゃも姉じゃも都合よく付き合ってもらうには
いちおう理屈はついたということにしよう。
うむ。
晴れ間にちらちら光るせせらぎを育てる春の雨と
ふとしたときにそんな音に耳を傾けるくらいのにぎわいが
穏やかな気候の頃に合うと思う。
いい具合に窓を叩く雨粒が鳴り出したら
過ごしやすいとはそういうことなのであろう。