『一番星』
夕刻、
ことことお鍋とまな板の音が聞こえる頃。
まり遊びのまりがころころ転がって
玄関から出て行ってしまった。
お外はすっかり暗くなり
追いかけるにも
腹の中から勇気を出して
よし、
それっ、
どうじゃ!
みたいに
こわごわとドアを開けて
日の沈んだ宵の中へ
進んでいかねばならなくなった。
修行をして
慣れていても
怖いものは怖い、
寒いし
面倒くさいからな。
襟をかき寄せて白い息を吐き
お気に入りの赤いまん丸の手触りの良いまりを
両手で抱えて
顔を上げたところに。
ぽつんと夜空に灯る光が
まっすぐに目に飛び込んできて
今日の夜も
月が昇って
最初の星が生まれ出る時刻が
来たのだな。
まりをつかんだ手が夜気に浸され
すぐに冷たくなるのを感じながら
一瞬、
見入ったものじゃ。
最初の星だけが輝いている
短い瞬間を
今日はこうしてつかまえたのだから
もしも誰かと歩いていたら
なにか特別な面白いものを見て
ささやかな
後で話をするほどでもない思い出ができたような
そんな気持ちがしたのであろうな。
思い返すとしても
ただ、
星が輝いていたな、と
その言葉で
他の人には伝わるはずのない気持ちが
たぶん伝わるのであろうなあなどと考えた。
怪しい動きで玄関から転がり出て行ったお気に入りの丸いまりは
冷たい風の中に引っ張ってきて
また星が輝いた夜空を見せようとして、
そしてちょうどその頃に
兄じゃが家に帰ってくるのをわかっていたのではないか。
冬は冷たく
空気が澄んで
たまに寒さを我慢して見かけた星空は
びっくりするくらいに輝いて
兄じゃがいなかったら
こんなにきれいなことを
誰に伝えたらいいか
いつでも迷ってしまうのだろうな。