観月

『みたま』
ありがたい神様のご利益は
五穀豊穣
商売繁盛
日々の平安
厄払い
学問成就に
恋の実り
など。
親しい人が相手でも
気恥ずかしくて言いにくいとき
胸の中で言葉にするだけで
はっきり形をとる願い。
聞き届けてもらえそうな
あるいは、むずかしそうな
形のない様々な予感。
人々の暮らしに隣り合う思い。
お風呂にお出かけする途中の道のりに
あまり大きくない神社があって
時間が早いと、遊んでいる子供の声も聞こえる。
話によると──
海晴姉じゃも遊びに来たことがあるという。
近所を冒険していた幼いとき
迷い込んだ清浄な土地。
異界めいた遊び場。
姉妹のみんなも口々に
そういえばあったっけ、
つぶやいて通り過ぎていく場所じゃ。
どこから迷った稀人が
いつのまにか遊びの輪に参加していても
ぜんぜん誰も気にしない
ご近所ではおなじみの隠れ家といったところ。
しかし
このごろ日が落ちる頃に通りかかる機会が増えると
知らない子が遊んでいる広場は
なにか意味ありげで
帰りそこねた寂しい者が
残されていたまりをついて
まねくようなか細い歌声は
うつむいた狐の面と目を合わせずに行き過ぎれば
おぼろな記憶は
ただ風と木の震える音で終わるのであろう。
わらわも今は兄じゃと手をつないで通りがかるから
遊んでゆくことはむずかしい。
暗くなりきらないうちに
惑わされずに帰るのが先なのじゃ。
ところが、このごろ夕暮れ見かけるのは
神社の前に立ち声もなく語りかける
はかなげな後ろ姿は
あれはヒカル姉じゃらしい。
誰にもいえない願いを告げる必要があるか
なんとなくぼんやりしているかの、どちらかじゃ。
そういえばまた
ママに誘われていたな。
これから年末にかけて
素人参加の歌番組があるとか。
ヒカル姉じゃしかいない!
とか。
海晴姉じゃが横でふくれるようなことを。
芸能の道だって誰にも思いのままにはならず
時には神頼み。
ちょっとした幸運に一歩進む先が見える日も
暴れるような嵐の日も
怯える胸のうちを聞いてくれるのは
ただ自分自身と
目に見えないからこそ感じられる神様だけと
そういうこともあるかもしれぬ。
でもヒカル姉じゃは断っていたようであったな。
じゃあ、わらわがせっかくだから歌って踊ればいいのに、
盛り上がりそうでいいな、
などと願っても
気が進まないのかもしれないということか。
ううむ……
これはどうやら
わらわのねがいのいくつかは
神様の力を知るよりも
どうも自分で出演するなりでなんとかするほうが早いのか。
そのうちママに相談するとしよう。