吹雪

『おかわりの季節』
秋も深まり
食べ物がおいしいから
つい食べ過ぎるのだと家族のみんなが言います。
私はあまりたくさん食べなくても良いと思います。
それは栄養に偏りが生じて、成長に少し影響します。
おいしくても摂取する量を自分で抑えることはできるはずです。
なぜみんなは
おいしすぎるとき
思わず食べ過ぎてしまうのか?
はたして、私にもそのような瞬間が訪れるのだろうか?
麗姉と話し合いました。
どうやら麗姉は、自分に限ってそのような場面は訪れない、
おいしいからといって我を忘れることはないと宣言しました。
二人で組み立てた仮説のうちの有力な一つは
適切な食事は体型の維持という形につながるため
よく食べるということは、現状の維持をいったん考慮の外に置いて
変化そのものを肯定的に受け入れているあらわれではないだろうか、
ということになりました。
背が伸びてたくましく成長するのも変化であり
太るのも、おなかを壊すのも変化に違いない。
秋は目に映る景色も静かに変わっていく季節ですから
多少は体型の変化を伴っていても
受け入れる気になっていくのかもしれません。
周りが変化する時期を迎えても
私はいつもの通り、食べ過ぎることはありません。
きっと変化を続けるみんなにずいぶん差をつけられて
一人で置いていかれるような気持ちになることも
これからあるのでしょうね。
麗姉によると、このような気持ちを
おセンチと呼ぶそうです。
たまに寂しいときや切ない気持ちになる。
理由がわかるときも、わからないときも
別にわからなくてもいい気持ちになる場合もある。
秋は人をセンチにさせる季節でもあるとのことです。
季節を感じさせるような身の回りの風景が変わっていくと
寂しい気持ちになる人もたまにいるようですね。
麗姉が寂しいとき
姉たちから受けたアドバイス
そういう時こそ
おいしいものを食べる、
だったという。
でも麗姉はそれを実行していないようです。
この件では自分の話をあまりしなかったので
現在、いったいどのようにおセンチを制御しているのかはわかりません。
私も、たくさん好きなものをおかわりして食べてみたいという考えは今のところはありません。
風景が巡ることの寂しさをなるべく小さくする方法を
おいしい季節らしい喜びを増やすことばかりでなくひとつでも探すとして、
見つけ出すことができたら、
みんなが知らない新しい発見になるでしょうか。
それとも、結局は同じ答えにたどり着くまでの回り道なのでしょうか。
秋の味覚──
栗の皮を剥くお手伝いが明日は待っています。
今まで気にしたことはありませんでしたが
温かい栗ご飯は良い匂いがするものだったと
これまで過ごした年の記憶がかすかに残っています。