氷柱

喝采
今年もノーベル賞のシーズンね。
普段は理解ができないものには興味がないくせに
こんなときだけミーハーな人たちが、
って言い方をするとまた海晴姉様に怒られるから柔らかく言い換えると
ええっと、ほら、
話題性に飛びつくばっかりの節操のない人たちが……
ええと……まあいいわ。
どんなきっかけでも業績が評価されるのはいいことだもんね。
むずかしいことがよくわかっていないらしいさくらちゃんでも
なにか感じるものがあるのか、よくわからないなりにテレビを真剣に見て
ある程度専門的なお話を聞きながら感心した声を出している。
へえー、とか
ほほー、とか
しらなかったー、とか。
そりゃそうだ。
知ってるわけがないわ。
つい先ほど発表された化学賞を受賞したのは
分子がモーターやスイッチなどのように形を変えて機能する分子マシンについての研究。
近年の受賞は各分野の境界が曖昧なものも増えているというけれど
テレビで簡潔に説明してもらってもかなり直感的な理解から遠いというか、
研究は最初から世の中の役に立つために行うわけではないとしても
何に使うの?
と簡単な話にしてしまいがちというか。
そんな頭の固い私たちよりも
テレビに向かってちょっぴり間の抜けた合いの手を入れながら
純粋にキラキラした目で聞いているさくらちゃんのほうが
ずっと本質を理解しているのかもしれないわね。
だいたいいつかは
私もあの同じ場所に立って
困っている人を助ける大きな業績を認められたとして
受賞者としてテレビ向けに噛み砕いてわかりやすく話すことになる未来が
必ず来るんだから、
その時には同じ画面に
私の家族が全員揃っているとは限らないし
今からみんなに説明する練習をしておいたほうがいいのかもしれない。
そうよ。
研究者を目指すんだから
未熟な自分には無理かも!
とか
大きすぎてはるかに遠い目標!
とか言ってる暇はないの。
世界的に認められた人たちと同じ場所に立って
それくらいできるようになって
無理だなんていわないで
助けたい人を助ける。
それだけでしょ。
まあ、でも
世間の評価なんて後からついてくるだけだし
別にあってもなくてもどうでもいいか。
でも、かっこいいお姉ちゃんの姿をたまには見せてあげるのもいいかな。
どうせ学問の道なんて
ほとんどは日の当たらない地味な積み重ねなんだし
スポットライトを浴びるのは
長い過程のほんの一部にすぎないんだろうなって──
たまにこういうニュースを見ていたらなんとなくそんな気がする。
私が歩いていくことになるのは
そういう静かで人目には変化のないつまらない道のりなの。
たぶん私は
自分の選んだ仕事が
どう楽しいのかうまく人に説明できなくて
伝わらないせいでいらいらすることはあっても
その道を進むことには
何の疑問も感じないで
後悔もしない──
だといいな。
できるのかな。
まあ、どうでもいいか。
立派な研究をした人たちのお話は興味深いけれど
別に私がセンチメンタルになる理由なんてない。
いつか出会うかもしれない
こういう世界もあるから
心の準備をしておかないとな、っていう
それだけ!
はいおわり。
じゃあそういうことで
まずは明日の予習からはじめないと。
大きな台風で休校になるかもしれないなんて期待している子たちには
ぜったい負けないわ。
今はまだどこの誰にもできないことをする。
自分が一番したいことを続けて
そうしたら
別にあのスポットライトを浴びる場所なんか関係なくて
世界の誰か一人でも
もしかしたら輝く瞳をしてくれる
それを胸を張って受け止めるだけのことができるなら
そのときだけは
自分を褒めてあげてもいいって思うかもね。
そんな未来に進んでいくの。
だいたい大したことのない
地味な日々だったり
家族と過ごしたりするだけの
必ずやってくる
私の確かな予定。
ふん。
今とそんなに変わらないかな。