『泥土』
目を覚ましたときから激しかった雨のために
今朝ばかりは朝のラジオ体操は中止。
夏休みも残りわずかとなり
朝の楽しみが一日分なくなった寂しさに
早くも沈みかけたはじまりの時。
しかし起きて来たみんなに本日は特別にハンコを一つ。
お天気番組の画面の向こうから告知があって
すぐににぎやかさは戻り
この子たちを静かにしておく方法がもう思い出せなくなるまで
ハンコはこの夏一番の活躍をした。
もう少しで役割を終えて箱の中に戻っていくもの。
来年は会えるのかどうかまだわからないが
もしも新調するとしたら
新しく出会う子供たちの成長を影から手助けするような
かわいく、深いものであったなら
今その身をすり減らすことも
このハンコにとって歓迎すべき喜びであるのかもしれないと
我が身を省みながら思う。
いや、まだ若い私はそこまで人はできていない。
あるいはそうなれたらと願っているのか。
まあいいか。
私はそう簡単にはすり減らないからな。
妹たちを見て
まるで小さい頃の霙のようだと評する海晴姉の言葉通りなら
私もなんだかんだで立ち直りが早く
つまらない記憶を宇宙の塵とするすべも
最初から知っていたか、幼くして意義を見出し会得しようとしていたか……
私も弱いようでたくましくて
意外とタフだったのだろう。
朝は窓を濡らして伝い流れる雨と
庭に広がり絶え間なく滴の跡を描く水溜りを
子供ながらに驚嘆の目で見ていたマリーたちも
このままでは外で遊ぶことができないと
しばらく経ってからわかったようであわてはじめ、
どうしてもっと早く気がつかなかったのか観察している私が答えを出す暇もなく
ただちに家の中で遊べるようにお絵描きの道具やぬいぐるみを広げて
なんだかお店が出来そうなくらいになった頃にちょうど
雲間から一筋の陽が差すと
退屈そうな顔は忘却に沈み
広げたおもちゃも全部放り出し
泥まみれになってしまった。
お絵描きスタイルで汚れてもいい服に着替えていたことを
マリーならやはり計算した上の行動だろうか。
観月は賢い子だが、こういうときはよくわからないな。
さくらは──うん、まあともかく。
もともと命は海から生まれたから
ほとんど泥水であふれた庭を走るのも勉強になるはずだし
やはり夏ならではの得がたい経験の一つであったろう。
それにこういうときには
仕方ないといいながら率先して散らかったおもちゃを片付けて
着替えもすぐに風呂場に用意してくれるきょうだいもたくさんいるから
私はみずみずしい雨を存分に吸い込んだ子たちをお風呂でさっぱりさせて
お風呂あがりの体にしみ込むデザートが用意されているのを期待していればいいだけ。
この連携もやはり
小さい頃から夏遊びをしてみんなを困らせた私たちだったからできるのだろう。
そういうことにしておこう。
いい経験を夏になるたびに積み重ねてきたんだな。
うんうん。
こういう大変なときには良く頼りにされているオマエも
小さいときからやんちゃだったのか──
きっとそうなんだろうな。
今でもまだ無邪気で子供っぽい顔をしているからな。
私にはわかるんだ。
しかし、姉の見ていないところでずいぶん楽しい経験をしてきたかと思うと
これはいけないことのような気もしてくるな。
まあ夏休みはもう少しある。
いつか消える日々を惜しみながら
少々無茶をしがちな姉と弟が揃ったから
いつも一緒に時を過ごし
何の理由もなくはしゃいで
必要なことも忘れて心のままに
私たち家族が
お互いを大事に思う気持ちだけを暖かく胸に灯して。
暑い夏を惜しみ、それはそれとして、この夏が過ぎた後も何か適当な理由でも作りながら
またこれから特別な経験を積み重ねていけばいいと思う。