吹雪

ディスカバリー
慣性形の中でエネルギーと物質が振舞う行動を記録した
特殊相対性理論は1905年に、
それを拡張した一般相対性理論は1915年から1916年にかけて
発表されています。
つまり範囲を限定したところから研究は始まり
やがて完成に至り──
それは階段を昇る一歩、
あるいは積もる葉の一枚、
靴をはいて明けた玄関のドア一枚のように
積み重なって次の発展を待つ道しるべ。
もともと特殊相対性理論
大河となって流れる物理学の歴史を母としている。
あるいは兄ともいえる──
今では世に広く受け入れられ、さまざまな研究の対象となって
私たち愛好家に多くの道を示す相対性理論
人に知られるようになるきっかけは
皆既日食に観察される重力レンズ効果の話題でもあり
そう考えると、いったい何がきっかけで
私たちの愛する多くのものが
この手元に届くのかまるで予想がつかないようで。
神はサイコロを振らないという信念が
一つの理論を形作り、人を導いたのだとしても
それでも私たちは偶然性の力を敬い、おそれる。
歩む道がどこへつながっているのか
科学者だって知らなかった
そんなエピソードは多いのだから。
アルキメデスが浴槽で見つけた原理や
ニュートンのリンゴと同じく
さくらが上手につかめなくて皿から落とした桃の一片が
私たちの未来を作る最も重要な一歩であるとしても
何も不思議なことはありません。
それになんといっても、難しい考え事をしていて
懐中時計をゆでて卵を見つめるという冗談もあるくらいなのだから
研究者にとって失敗は
どんな賞賛よりも誇るべき名誉であるはず。
それに気がついたとき
大事な本にソースのしみがついても
まったく気にせずいられるようになる──
だから貸した本が汚れて帰ってきたときは、
手にしたものに確かに何かの影響を及ぼした
その活躍をたたえたいと思うのです。
もちろんあまりの汚れ方にびっくりするのは話が別ですが。
こっ
こんなに!?
その動揺は
いかに世の中を知った数学者であろうと抑えられるものではない。
むしろ好奇心を刺激されるとても芸術的なモチーフであるともいえる。
キミとさくらは、あの本から何を学びましたか?
本に書いてあったとおりのこと?
それとも、誰にでもよくある話のように
内容からは想像もつかない
まるで別のわけのわからないこと?
二つ以上の質量を持つ物質が出会うとき
そこに必ず引力が生まれ
影響を及ぼしあう。
何物であっても避けることはできない決まり。
たとえひとつも知ろうとしなくても
全てのものは研究者である。
でも、もっと何かを見つけようとする感情が芽生えたならば
全ての生き物は今までよりもなおよい科学者になれると
そう考えても何もおかしいことはない。
間違った理屈ではない、
いや、仮に間違っているとしても
だからこそ、
まだ小さなさくらがあっという間に私を追い越して
学ぶべき理論を限りなく打ち立てていく未来はありえる。
常に起こりうる可能性。
何も先がわからなくても
私たちは、一歩を踏み出していかずにはいられないと
世界中の物理法則だってそう言っているのだから
残念ながら何かと忙しくても
もう捕まってしまった以上は
これから私と新しい発見をするために
逃げることや隠れることはあきらめてもらわなければなりません。