夕凪

『ヘッドスライディング』
ねえねえ
ねえ
お兄ちゃん
あのね
お兄ちゃん!
聞いてる!?
夕凪はうるさいと
自分でもよく知っている。
みんなに言われるから
そうじゃないかなあーって。
クッションを抱えて
湯気でほかほかのココアをカップいっぱいにして
さあ話をはじめるぞー
というときになると
いつも元気だねーっ
感心した声。
ちがうちがう!
まだ話ははじまってないから
感心するの早いっていう!
夕凪、おしゃべりするの好き。
だーいすき。
ぺちゃくちゃ
学校の話題と家族のことで
おしゃべりしようよ!
靴下はいたら
お姉ちゃんのだから
ずりおちた!
ぶかぶかだったー
とかそれだけで笑えるの。
くだらないな!
たのしいー!
絶対こういうくだらないの
毎日したいの。
あとね
野球してきました
とか。
夕凪、足は速いほう。
いや、なぜか案外記録に残らなくて
落ち着きがないのがいけないだけらしいので
お兄ちゃんが測定の時にスタートの声をかけてくれるおうちの記録を持っていったら
わりとすごいよ。
公式記録ではないけれど
なぜか夕凪はお兄ちゃんの声を聞き逃さない。
天高く青空に鳴り響くピストルの合図よりも
気合が入って力がみなぎって
フライングもしないしスタートが遅れて足がもつれたりもしないんだから!
夕凪は運動が下手なのかなあ?
下手の横好きっていうやつ。
それか、見ている分には得意そうなアドバイスをする
岡目八目っていうやつ。
おかめ!?
夕凪はたぶん
へたっくそだから
一生懸命で
うまく行かなかったらお兄ちゃんに聞いてもらいたかったり
たまにちゃんとできたらお兄ちゃんに話したかったりするの。
バットを振ってね空まで飛んでいってね
でも落ちてきて、すぐキャッチされちゃうんだあ。
にくいやつ!
ショート!
だけどとにかく一塁にタッチすればいい!
ってなると
もう他のことなんか目に入らないで
はしれはしれー
ショートの子からボールが投げ込まれる前に
頭から飛び込め!
一塁のお友達は
まだ、ぐーんと体を伸ばしたグローブで受け取ることを知らない。
こっちのものだ!
塁に出たら教えてあげよーっと!
みたいに突っ込むからさあ
夕凪は気がついたら顔面スライディングで
鼻の頭が擦り切れてしまいましたとさ。
こうして夕凪の鼻はぺちゃんこになったそうな。
帰ってきて、氷柱お姉ちゃんに手当てしてもらいながら
もう言っても聞かないから
夕凪が大人しくなるのはあきらめた。
と見捨てられたよ!
うえーん……
あきらめないで……
あるとき突然レディになるかもしれないじゃない。
ある朝目が覚めたらなんと!
ないかー。
いつでも走ってばかりで止まらないのは
お兄ちゃんに届けたいものでいっぱいだから。
愛情いっぱい小さい体に詰め込んで走っているのに
ちっとも荷物にならないで動きが軽快なのは
ゴールに飛び込むまで元気いっぱいに生まれたから。
疲れて眠っても
うるさいもん。
海晴お姉ちゃんがソファでくーくー
鼻提灯を作っていたから
高い鼻!
すりきれなかったら夕凪も美人だったのになー
なんて考えつつ毛布をかけてあげて
胸に大事に抱いていた旅行ガイドの折り目がついたページを開いて
はじめての情報を
一番最初にお兄ちゃんに伝えたくてスライディングでやってきた!
聞いて!
ゴールデンウィークの旅行先は
あの天高くそびえるはがねの城
東京スカイツリーだよ!
やったー!
高さは
むさし!
ゴールデンウィーク間近のすっきり晴れたきれいな青空に
吸い込まれていった白球みたいに
今度は夕凪が飛び上がって行って
広がる景色を眺めて来るんだ──
バットじゃなくてエレベーターで昇るから落ちないのはいいなあ。
お兄ちゃん!
それでもなぜか重力に負けて夕凪が落ちてきたら受け止めてね。
ただ単にお兄ちゃんへ飛び込みたいだけだとか
細かいことは何にも言わないでね。
行くぞ
いけいけ一塁、
まにあえ!
ぎゅー!