吹雪

『小さな光』
まもなくゴールデンウィーク
大型連休ともいいます。
学生は学業が本分だというのに
なぜそこまで休日を必要とするのか?
また、来客が増えることを見越した
観光施設が近い飲食店はこの近くにもあるので
短期のアルバイトを募集中。
ヒカル姉と春風姉も誘われて
家族で過ごすからと断ったということです。
休日を利用して労働の機会を探すということはつまり
学業のあり方を見直したらいいのか休養の考え方を変えるべきなのか
大人になると考えることが増えるらしいのに
今から考え事ばかりで、私が大人になったらどうなってしまうのか?
その姿を想像しては
他人事みたいにおかしくなってしまう。
私には学べる先人が間近に大勢いるのだから
なんとかなるだろう、と考えるのはどうもいつの間にか学んだ対処法らしいけれど。
ともかく今日もやはり答えが出ることが少ない疑問を多く抱えています。
たとえば──
今から連休中の予定として北海道新幹線乗車券の予約を取るのはまず不可能なのに
麗姉がその魅力を説いて
流行と聞いて気になったマリーが心を動かされたとか──
無理とわかっているはずが
なぜだろう?
予定を立てるはずの海晴姉は
どんな意見が提案されてもうれしそうに聞いている。
全ての希望を聞き入れることができないはずなのに
一つも聞き逃さないように
頭の上に伸びた白い耳を立てては伏せてぴょこぴょこと躍らせて。
いや、この記憶は蛍姉が製作した連休とは関係ない衣装についていた
ウサギの耳の動きを見ていたからなのか。
どうやら現在の状況は
旅行は予定を立てている間が一番楽しいという
誰が言い出したのか覚えていないその言葉が示している状況そのものといえる。
そんなものだろうか?
計画通りに行動することが本来の目的だという思い込みは
間違っているか、あるいは事実のごく一部に過ぎないのか。
自分の意見が叶うかどうかは重要ではなく
伝えることが大事であるなら
私は以前に聞いた
帰りが遅くなった夕暮れに
ぽつりぽつりと続く街灯のほの明かりだけを頼りに
自分の家へ急ぎ足で進む体験を
不可能だと思っていたから
あえて提案したい。
小学生なので
遅くなって帰ったら叱られます。
というかそもそも遅く帰る理由がありません。
暗くなってもいつまでも外で遊んでいたいというのは理由にはなりません。
でも、今は具体的な想定がなくても
あるときもしも理由があって遅くなってしまったら
家の人が迎えに来てくれて
暗い夜道を一緒に帰るのだといいます。
その道は夜更けに自室の窓から向こうを見るように真っ暗ではなくて
どんな時も家族が隣にいてくれるから暖かいのだそうです。
旅行なので迎えに来てもらうプロセスを省いてもかまわないから
理由があって帰り道が遅くなり
心細い道を頼れる人と話をしながら帰るのだそうです。
話をしなくてもいいみたいです。
眠くなったら背負ってくれることもあると聞きました。
全ては伝聞に過ぎないため
実際に経験すると全く想像していない現象が起こることも覚悟しておかなければなりません。
どうやら旅行の予定を立てるとは
とてもエネルギーが必要で強烈な体験らしい。
本番の旅行がどのように行われるのかはわからないけれど
もしかしたら家で過ごす希望が聞き入れられるのかもしれないとしても
想像は、一度広がりだしたら膨らみ続けて
現実になるかどうかもいったん忘れ
考え事は限りなく続いていくようになるものであると
人の想像力がたどりつくことを知らない領域に踏み込みこともいとわなくなると
早いうちから心の準備をしておくべきものなのかもしれない。