観月

『夜行』
日暮れが早い季節も過ぎ
これからしばらくは夜も短く
先の見えない暗い沼の淵に立ち尽くすように
ただ凍りつく静寂を楽しみながら
じっと明け方を待ちそっと目を閉じている時も
もう遠く次の冬までおあずけ。
葉ずれの音も密かなささやきの
森の中で枝を踏みしめて
わらわを待つのはあっちのオレンジ色の灯のほうか
それともまた別の薄明かりのほうなのか
なんだかわけがわからなくなる面白さも
何かを期待してうろつく月夜も
湿った春霞に追いつかれてしまって
もしかしたらもう懐かしい漆黒の夜は
どこにもないのではあるまいか?
探しても探しても見つからない
肌を切る冷たさの風に乗り渡っていく
たまぎる叫びもすすり泣きも
氷の夜の幻はみな消えた。
獣も女も黒い翼も
すっかり絶えた。
溶けきってしまったようじゃ。
かねのおと
すずのおと
きんと高い打ち鳴らす音。
切り裂くような気配はもうない。
かわりに聞こえてきたのは
開いた花の中から長いあくびや
桜を愛でる酔いの歌、
春のお祝いの陽気な笛やら
ずらり並ぶ畑の休憩を知らせるどんと響く太鼓が
暗い彼方から
風の向こうから
月明かりの下に枝を渡り
低く足元に淀んだ影を這いながら
お山の夜の遠くどこかから
何の前触れもなく始まるようになったのだから
寄り添う花の色も影も躍る
春が来て、
みんながおねむの時間にふと目覚めたら
そっと音を立てずに
肌の下に受け継いだいつもの力、
例のあれじゃ、
言葉にもできず目に映らず指先につかめない
秘密の技を駆使して抜け出したら
春もなお先が見えぬくねった道に
息吹が芽をひらく音がなる夜を
いつも探り
見慣れぬ景色、
歪む森の中で
今宵は鳥が高く鳴いたら帰ろうか、
踊りを見たら帰ろうか、
今までにないものを見つけ出したら
おみやげ話も持ち帰れるだろうか、
気の向くままに。
そしてなにしろ
まだ子供なので
こんなに浮かれる夜こそ迷子になってしまったら
戻るためにはどうしても
やはり、影が覆う夢のような景色を
ちいさいおくつのあしあとを追いかけて
桜咲く森を探してもらわなければなるまい。
兄じゃ、わらわがいついたずらをはじめてもいいように
春の花びらが舞う夜を歩く支度はもうできたか?
その季節はすでに姿を見せて
手を伸ばせば触れるところまで歩み寄っているようだぞ。