『星の下』
冬休みが終わり
昨日の始業式を経て
三連休の後には今までと変わらぬ日常がはじまる。
それとも、短いながらも濃厚な密度で毎日を過ごした年末年始を経て
温かな胸の中で何かが大きく変わり
自分自身がまだそのことに気がついていないということも
幼く怖いもの知らずで次々と挑戦を繰り返す子供たちと同じ私だということが
あったらいいけれど、まあそんなにないかもしれない。
半日で終わる日にも相変わらず
帰り道には行き慣れたコンビニへ寄って
おつかいをした際におつりがあまっておだちんにもらえる可能性を考え
お菓子の棚を見ながら綿密に予定を立てている。
状況を正確に把握することは大切で
新商品を狙うよりも、スーパーの品揃え次第では
本来おつかいの予定にないおかずを一品リクエストして
後日のおやつにとっておいてもらう計画も
満足感は大きく、力を発揮できる場面だと思うので
それは食いしん坊の力というものであろうか
日々いつも学び続け新しいメニューを探る若々しさというのか
多少野心的なメニューを受け付ける鋼の胃袋は必要となるが
このようにして、ただ食べることを得意とする者も
毎日が学問の輝きに浴している。
天の下は、あまねく学びの庭と言えるだろう。
冬休みの間に読みきれなかった本も
グルメや旅行のガイド、数学や哲学の知識
宇宙開発の進歩とまだ知られざる彼方。
どこまでも広がる無限の宇宙に私たちはいるのだから
ひとたび好奇心の探求が始まれば
限りなくどこまでも神秘は見つかる。
考えてみれば
短い冬休みになど収まるはずはなかったのだ。
頭上に果てしない暗黒の広がり。
虚無を抱いた無限なる真空の荒野。
少し寝転がってこたつで体を伸ばし
ちっぽけな星の大地の上で誰よりもリラックスしているように見えるとしても
永遠に知識を求める長い旅の途中。
いつもせかせか時間を惜しんで
真面目に自己を磨き続けるわかりやすい勤勉な姿であるとは限らない。
読みかけの本に知りたい未知が詰まっているとき、
人は常に背筋を正して何日も
ひょっとしたら何年も知識の滋養をたしなむ横顔がそのまま変わらずにいられるのか
同じ座椅子で、というわけにはいかないだろう。
腰に来るし。
夜空の冷たい空気は透き通って
私たちに遥かなる世界の存在を教える。
それをちらっと見て
わかったつもりで大きな世界にわずかに触れたような気分になり
寒さにぶるぶる
これはたまらんなどとつぶやきながら
こたつにこもり、気に入った写真の載ったページを開いて思いを馳せる。
冬空の下でしかできない大事なことではないだろうか。
まただらだらしている、と周りのみんなを驚かせることはないんだ。
こたつの中で冒険。
特別で誰にも真似ができない旅立ち。
少しのんびりして見えても
実際に体の半分くらいはのんびりしていても
まあ、ほら。
その。
冬休みが終わっても寒いんだからいいのではないだろうか。
この喜びが三連休までの命だと
そんな儚い未来があっていいのだろうか。
まあそれはそれで、ばたばた騒がしく豊かな三学期が待っていると考えられるが
でもやっぱり
そんなにあわてて新年に向かっていくばかりが芸ではない。
世の中にはこんな新学期の迎え方もある。
あると言ったらあるんだからしょうがない。
それだけの話だ。
同じひとつのこたつでだらだらして過ごす。
これが私を姉に持ったゆえの運命と割り切るのがいちばんではないだろうか。