『聖なる贈り物』
サンタクロースは帰っていった。
遠い雪の国へ、
プレゼントとそれから、多くの贈り物を残して。
靴下に入らない、
目には見えないものたち。
ある人はそれを愛という。
世界中の子供たちをいつも見つめている
それを伝える──
クリスマスの日なのだと。
良いことをした子にプレゼントを。
わるい子だって、たまには良いことだってしているはずだから。
プレゼントをもらってもいいのではないだろうか。
子供であるというだけの理由で。
愛されているのだから、ただそれでいい。
良い子にだけだと微妙な条件をつけていることに
昔は悩まされたものだが
その意味を今は知っている。
だいぶ長い時間をかけて
多くのことを、私の後から大きく育ってきた子供たちに教わりながら
ようやく多くを知った。
遠くの国からクリスマスプレゼントが
世界中の子供たちに届くことを喜んでいる。
一年に一度、
良い子であったことを喜ぶ日。
本当は、わかりやすいお手伝いや
素直に言うことを聞くばかりでなくたって
お前たちはプレゼントを受け取る良い子なのだと伝えたい。
いつも元気で、よく人を困らせてばかりのお前たちは
たとえいつか大人になってプレゼントが届かない日が来ても
愛されていることを信じていてほしい。
その時には、子供の頃にもらった宝物よりも
ずっとうれしい贈り物が届くとやがて気付くのだろう。
まだ小さな子供たちに届くプレゼントの
その意味がようやくわかるようになっていく──
いつか、今日の思い出が役に立つのだと思う。
まだ子供で物を知らず
少し背が伸びてきた
幼い私が知っていることはそれだけ。
プレゼントを受け取る資格を持ち、
そして家族の素直な笑顔に物を思う
楽しくて、少々落ち着かないクリスマス。
しみじみと思うことが多い贈り物の日だったな。
誰もが笑顔になっているのに
どうして私はうれしくて
一人でかみ締めるみたいに
言葉にできない気持ちばかりになってしまうのか。
それとも、これで
わかってしまうのかな。
海晴姉もなんだかわかったような顔をして
胸に揺れる不思議な感情で何も言えなくなっている私のことを
黙って見ていたようだから。
別にあれは口元にずっとケーキがくっついていたというわけでもないだろう。
うーん……
よく食べた日だったな。
そしてケーキやシチューの材料などに多く仕入れたという牛乳が
わりとあまっているので
飲んでくれたら
うれしいなあと蛍がはにかんでいる。
うん、まあ無理がない程度には協力してもいいだろう。
特別な日のシャンメリーも味わいがあるとはいえ
これからはあるがままの何気ない日々に戻っていく私たちだから。
手に入れたものが多いこの日ももうまもなく
過ぎ行く一年の思い出となって過ぎ去り
受け取ったものがいつか時間を重ねて消えたとしても
忘れられずに私の中に失われないままの何かがあるだろう。
今はそれを言葉で表現することはできないが
大人になるということは
たぶん、愛を受け取るプレゼントの形が変わっていくにつれて
贈り物も大きく膨らんで
いつかはこんな特別なパーティーばかりではなくても
多くを知って、喜んでいる。
またこんな日を過ごしたいと願う。
今年の私にとって、それが笑顔と歓声で満ちたクリスマスの日だった。
大人になったらもっと上手に
忘れることができそうにないこの気持ちを伝えられるようになるのだろうか?
言葉で、あるいは行動で
時には贈り物で
別の日にはおそらく、何も言わずに一緒にいるだけで。
それはまだ遠い未来。
ひげのサンタクロースになるくらい年を重ねたら
私も喜びの贈り物を誰かに、思うままに
できるようになると
わずかに芽を出し始めた予感。
子供が過ごすクリスマスとはこのような気分になるものかな。
毎年過ごしているのに
また来年を、家族といることを
今から期待しているとは。