ヒカル

『遠くへ』
ほっぺたがひりひり痛くなる凍える風が吹いたら
いつもだったら準備運動をしてから走りはじめ、
体の内側からほかほか熱くなる実感が汗みたいに湧き出すまで
通いなれた道のりの、変わっていく季節の景色──
気がついたらすっかり違う色を見せているあっというまの衣替えだって
どんな移りゆく世界を前にしても
その時だけは、まるで自分の足で追いつけるような気分。
気持ちよくどこまでだって行けるつもりになった汗っかきのランナー。
寒さなんて簡単に引き離して好きな場所へ
たいていは一人で。
でも最近はたまに手を引っ張って連れ出す相手のもう一人と。
私のわがままで
無理を言ってついて来てほしいってお願いしているかなって
少し反省してみても
誘ったらあんがい抵抗しないでささっと用意を整えてくれるから
そんなにイヤでもないのかな。
ささっと手近なシャツに着替えるだけで
準備が簡単で、男の子っていいな!
まあ私もオマエと同じでその辺に転がっている一緒のシャツを
あ、これは前に走ったときに着ていたので
こっちはケーキ作りの手伝いに呼ばれたきのうのもの。
甘い匂いが染み付いてる?
そうでもないみたい。
着られるかどうか確かめて、勝手に使っているくらいだから簡単なほう。
家族だからこのくらいは当たり前のこと。
でも、少し大きいかな?
ちょっと寒さがしみる日こそ
普段どおりに過ごしたくて
そうしたら、楽しいのと冬に打ち勝ったおかげで倍のよろこび。
なぜか得をしたみたいになる。
まあ冬に負けるときもよくあるものだけど
べつに最初から負けることなんて考えていないし
たまにいい感じだったらラッキー。
私の単純な頭の中にあるのは大体それくらい。
悲しいことも、つらいこともそんなふうにしていたら忘れてしまう
運のいい体質と言えるのかどうなのか──
今日はオマエを置いて思い立ってすぐ出て行ってしまったから
寂しい思いをしていた?
しない?
ふーん……
実は、一人で走りに行ったわけじゃなくて
といっても別の誰かが相手をしてくれたのでもなく
気温が上がりきらない冷え込んだ冬空の下で
一言も文句を言わずに相棒をしてくれたのは
鈍い銀色のメタリックボディー。
寒くなってからはあんまり乗ることもなかった自転車。
どうやらタイヤもチェーンも調子は良さそうだったし
そろそろ見慣れた落ち葉の景色に気分を変えて出発進行。
ただでさえ冷たい風を切って
新鮮な高揚感を抑えながら
急ぐ人も多い師走の街をしっかり安全運転。
なんで素直に日課のランニングで満足できない気分だったのか
難しく考えても私には答えなんて出ないだろうけど
いよいよ強い寒波の到来で北風が強くなると
当分は自転車に乗りたくても乗れないだろうなんて気がしたのと
なんだかぱーっと晴れてもやっぱり冬の太陽で
どこまでもまぶしい陽射しが足りないとまわりを塞がれてるみたいで
行ける限り遠くまで
自分の力の精いっぱいを使って広がる空の下を駆けてみたかった。
知らない道を辿っていけば
まだ暖かくて明るい光が差しているところがありそうで。
でも結局は
というか、もちろん普通に良い子で知らない遠くまで行かず
暗くなる前に帰ってきた。
寒い寒い向かい風が肌を切る感覚も
とりあえず満足して、これが一年の自転車走りおさめかな。
もしかしたら暖かな家の中にある
サンタさん歓迎ムードに当てられたテンションで
自分だけ先に会いに行きたい気分で試しに挑戦してみたのか。
今日はどこにも
雪が積もるおとぎ話のレンガ作りの北国に通じる道が見つかる
そんな気配はなかったな。
さっさと帰ってきちゃった。
ただいま!
やっぱり立夏が狙っているいるみたいに、おもちゃ屋仕入れに来るはずだから
クリスマスムードの街を探せばいいのだろうか?
サンタを見つけたらわかるものなのか
それに、忙しい時期だろうし呼び止めてもいいものだろうか。
ちょっと悪い気がしない?
見つけたら握手してもらうだけにしておくつもり。
でもこういうのは
待ちながらそわそわしている時間が楽しいものなんだから
見つからなくても。
自分の力では夢の町にたどりつけなくてもそれはそれ。
空を飛ぶ魔法なんてかかっていない自転車で走る、なんでもない日常も
クリスマスが近づく頃のイルミネーションによく似た気分で迎える
私の好きな風景。
ふだんあんまり動かさない筋肉を動かしたら
いつもより気持ちよくぐっすり眠れる夜も楽しみ!