『あいさつ』
限りなく広い無限の宇宙に
ちっぽけな地球という星が
やがて生まれ来た無に帰る時を待ちながら漂い
とうとう私たちは師走と言う面倒くさい季節を迎えた。
年も押し迫った時期の焦りがちな作業をなるべく円滑に進行するべく
ママの芸能事務所にご褒美ありの甘言で駆り出され
仕事柄とは関係なく、特に派手なことは何もない事務仕事を淡々とこなして
おだちんのアメちゃんをひとつ、大事にうやうやしく受け取って
なるべく真っ暗になる前に電車で帰りの途に着く
勤勉で感心な、ある歳末の風景。
うん、まあ……
私たちよりもさらに帰りの遅いママはご苦労様とねぎらう気持ちはあるのだけど……
どうやら宇宙のあらゆる法則がそうあるべく
口約束で私がもらえることになっていた報酬も、
冷たい真空の海に音もなく消え去ったように思える。
あるいは、毎日続けているのはアルバイトではなくて家庭のお手伝いなのかもしれない。
皿洗いやトントン肩叩きの一種であるような。
だとすると、海晴姉が喜んでいるほどには
ママが私をこの仕事に引きずり込もうとする意図は特になく
ただひたすら助っ人に徹するべき一幕と言えるのかもしれない。
刹那のすれ違い。
カーテンが下りるまでの名もないエキストラなのだろう。
とはいえ、人の出入りが多い環境で
何事もなくそつなくこなしていくコツは
元気なあいさつ。
これに限る。
なにしろ便利となったら
こう見えてもためらいなく取り入れる方向で生きてきたので
色の白いは七難隠すというが
人との出会いを重ねる日々、だいたいその格言に近い万能の力なのだ。
多少のことはたいていあいさつで切り抜けられるものだし
小中高とあいさつで世の荒波を渡ってきたといえるほど
まあなんとかなるものなのだから。
しかしあまり調子に乗りすぎると
幼い小学生の頃、先生方が広めようとしたあいさつ運動の前面に立たされ
全校生徒の集会で見本のすばらしいあいさつを披露する流れとなり
もとから謙虚で身の程を知る性格であった私は
児童主体のあいさつクラブが発足するまでの支援に徹する話をまとめて
今となっては、写真になって残っている景色は
歯ブラシのコマーシャルに出てきそうな白い歯を輝かせる海晴姉の
あいさつクラブ部長の栄誉あるポートレートがあるのみ。
懐かしくセピア色に変わった景色……
おかしいな、なんだかこの話では
私が海晴姉を身代わりにして面倒事から逃れた非道な人間のようではないか?
さわやかなあいさつと
柳を思わせる柔軟な身のこなしを頼りにしていたら
その後、なぜか高等部の最高学年を迎える頃になっていきなり
生徒会の会長を務めることになるのだから
まったく未来とはわからないものだ。
もしかしたら海晴姉に憧れがあったのか
続々と入学してくる妹たちにいいところを見せたかったのか
妹たちのいる学校で面白そうな仕掛けをする機会が目当てなのか
ただ断りきれなかったのが理由なのか
私を現在の場所へ連れて来た運命が意図するものも知らず
今日も大きな声のあいさつが聞こえ、
私とオマエのいる世界は止まらぬ円転を繰り返している。
これからやはり思いもよらぬ出来事に巻き込まれ
アメちゃんをほおばりながら帰るかもしれない愛しい家族のために
私から唯一つ言えること。
おはようございます、は
物怖じせず
おなかの底の底から声を出すのがコツ。
大声で損をすることはない。
まあ、仮に損をしたからといって責任を取るつもりはさらさらないが
無意味に余計な恥をかきつつ
周囲の警戒心を解いていけば
ごく稀に、もらえる差し入れも増えるのだ。
この世の何事も動かすことのできない
愛されかわいがられる法則によって
私はどうやらそこそこに忙しく
まあ誰にでも訪れるありきたりな年末を
それなりの満足感を持って、迎えているといえるだろう。
もうまもなくと近づきつつある、あけましておめでとうは
外に出す必要はなく私たちの家だけにとどまり、通い合う。
その時にはまた教えることのできる別の秘訣もある。
また良い見本となれるよう
新春に向けてのまっすぐな心身を整えておくとしよう。