『カオスゲーム』
サンタクロースの実在を証明しようとする場合
まずは経験的な観測結果から出発することが多いようです。
すなわち、
クリスマスの朝には、枕もとに用意した靴下にプレゼントが届いている。
街を歩くサンタを見た。
プレゼントの願いが叶った。
うれしいクリスマスを過ごした──
など。
また、反証も実際にあった経験から多く得られるものらしく
プレゼントを届けたのは両親である。
街のサンタはお店の宣伝をしている普通の人である。
クリスマスって、そんなにたいしたことはなかった。
いつもプレゼントはうれしかったけれど
お正月だっていっぱいおいしいものを用意するでしょう?
一年に一度の記念日。
たったの一日しかないわけでもなく、
やがて大きくなるに連れて、喜びは積み重なり
願いをかなえるのがサンタクロースだけではない、と。
いつもすぐ隣にいる人も
知らないうちに、自分自身も
同じ力を持つことを知ったら
その時に、サンタは本当の姿を見せて
必要だったかつての役割を失う。
また新しい喜びとなって羽化するまでの夢。
聞いた話によれば
霙姉がどれだけ願ってもかなわなかった
クリスマスの和菓子尽くしは
お正月まで待ちなさいとすげなく却下され続け
それは人生観に大きな影響を与え
夢を願うこと
叶える力、
そしてお正月を迎えても
また繰り返す、喜びを求める願い。
一人きり祈るときも
大切な人と共にいたいと意識するように変わっても
願いについて考えている。
ささやかでありたいのか、果てがないのか今もわからない幸福を思い
繰り返す火の次の喜びを探して
クリスマスを重ね──
などといったような。
たいへん熱のこもった意見をもらえて
戸惑うくらいではあったけれど
要約すると、クリスマスのあんこケーキを今もなおあきらめていないと
そういう話のようです。
できれば一度だけでなく、みんなに喜ばれいつか定番になるような
願いは尽きないのだと。
私は、クリスマスだからといって多めにカロリーを補給する必要もないという意見で、
ケーキはどのようなものでもかまいません。
見た目がかわいいブッシュドノエルなどはよくできているとは思いますが……
こだわるほどの願いも、今のところはあまり多くなく。
今年もみんなが健康でいられて全員でそろえばよいですね、と
まあ……それくらい。
春風姉や立夏姉の希望とは相容れないでしょうか?
深夜の時間を利用すれば可能ですね。
24日はサンタクロースの訪問があるため
有効に活用できるのは25日のみ。
時間をずらせば願いは叶うかもしれない……
ただ、この提案はどうも微妙な顔の反応だけが返ってきて
受け入れてもらえそうにない……
さて、観測によって存在を確立され
また観測によって消え、後に現れるサンタクロース。
しかし誰も実際に確認をしたことがないとしても
古くから確かにいるのだと伝えられているのだし
もしもサンタクロースのプレゼントが届かないクリスマスがあっても
なぜか失われることがないようでもある。
夕凪姉は第一希望はほとんど届かないのに
今年もずいぶんと無茶なことを言い出しているような。
多くの場合は、私たちがたしなめて考え直してもらっているけれど
それでも届くと信じているようすの
空を飛ぶ大きな船や
一晩にして体が育つ秘薬や
神秘の術を教えてくれるお友達や
部屋いっぱいのクリスマスグッズの詰め合わせや
どうして最初から
今まで届いた例がない、ありえないものばかり望むのだろう?
学習をしない可能性や
経験が知識にならないとか、
認識の違いを真剣に考えたけれど
どうもおそらく
サンタクロースを実際から語る場合が多いと思われるのは
表面的な観察でしかなく、
最初からいるのだと信じている
何もかも願いが叶うという真実が夕凪姉の中に存在する、
それだけが全てなのではないだろうか?
だとしたら
まだ大人になって経験を重ね
得られた知識からサンタクロースの存在を疑うほどでもない年齢の私ならば
いっさい根拠もなく、あらゆる希望がクリスマスに叶うことを信じて
心から願ってもいいのではないだろうか?
最近は少しだけ、そう考えることもあります。
もしも可能ならば本当に目の前にあらわれ
手に触れるところに形になる夢。
枕元に届くかもしれないし
部屋に入りきらないかもしれない。
今年のクリスマスが
私にとって、何かいつもと同じものでない日に変化するのだろうと
今はただ、ふくらむ予感が
胸の中で温度を持ちはじめただけ。
12月になって、寒い日も続きますが
いよいよ楽しいのはこれから。
どうか、体調には気をつけてください。