『鳳凰』
世の生き物で最も誇り高いもののひとつは
自らの翼を頼りに風を切り大空を駆る鳥たちであろう。
その表情はいつも自信にみなぎって
力尽きて地に倒れ伏すその時が来てもなお
精悍な魂はなおも消えることなく燃え続けているかのように
凛々しいお顔で眠りにつく。
厳しい風の中を揺らぐことない勇気のみで羽ばたく。
その姿は見る者たちに恐れを与え
時にはわけのわからない胸にこみ上げる思いをもたらして
そして孤独に翔けていく特に勇敢なものは
大地と共に生きる人間たちがどんな感情を託そうと知らない顔で
ただひたすら虚空にまっすぐな線を描いて飛び去るのみ。
どこから来たのかも
どこへ行くのかもわからないままで
その姿は不吉とも言われ、また別の場所で瑞兆ともされる。
しょせん人間の考えなど決まりきったものでしかない。
嫌われようと好まれようとどうなろうと鳥はただわずかに姿を見せて
わらわはせいぜい想像力を羽ばたかせるのがせいいっぱいで
しかしまあそんなせいいっぱいを続けて
何かを思い、誰かと語り、あるいは絵に、音に、文字に変えて伝えようとする。
あの偉大な生き物たちは
語り部たちによれば
あるときは死を知らぬ怪ともされる。
相手が知らん顔をして平気なのをいいことに
どこでも適当を言うものじゃ。
大空を渡る自由は
ある時は永遠を備えた不屈の魂に見えると
のんびり寝転がって広がる青空の下で
そんな気持ちがこみ上げる者もおる。
好き勝手想像するのも人の自由。
ただひたすら物を思うばかりが
われわれがせっかく持ち合わせた力なのだから
思い存分に使えたらいいな。
なにものも逃れえぬはずの死を超越し
大空を行く自由と一緒に永遠と言う自由を得た彼らは
やはり、地を行くものにはわからない力を発揮して
人々に何かを伝える役目を果たすこともある。
未来を教えたり
見ているだけで元気になったり
格好良かったり
単に飛んでいくだけで面白かったり
何かと伝わってくるはずで
まあ、正しかろうがそうでなかろうが
人間はそうして思いを馳せながら
どうにかやっていくものじゃ。
いったい氷柱姉が何から影響を受けて
今日は珍しく張り切ってキッチンで蛍姉の指導を願っていたのかは知らぬが
結局、技術を伝達するのは口からでもなく文字にするのでもなく
教えられない部分が多い分野はいつでも
目で盗む、が昔からの基本。
料理人もたいていはそうして育つのだから
まずは基本的な技術を身につけるのがはじまり。
不器用で、才能が芽生える気配もなく、向いていないとしても
まあ努力を続けるのは一番それなりに力につながるであろう。
おそらくな。
何の保証もない話で、経験や人の世の歴史は常にそれが正しいとはしていないから
そうであればいいなあと。
まあ、がんばるのはいつの世も良きことじゃ。
見ているだけでもいいものだし
兄じゃも感心してほめてくれるし
なでてくれるし
嬉しそうに、気がつくとすぐそばでにこにこしておるから。
結果が出なくとも
氷柱姉もまんざらではないはず。
思えば、こうして蛍姉に対抗意識を燃やして
そのたびにたいして芽が出ずにそれっきりになるくり返しを
氷柱姉も何度続けてきたか
五歳のわらわでもよくわからなくなるほど。
しょせん人間には、永遠に例えられる高潔な生き様などなく
その場その場で泥にまみれてもがく程度。
でもまあ
挫折した経験をすぐに忘れて
何度でも挑戦できるのは
氷柱姉じゃを見ていてもわかるので。
あんがいそんなふうに
ぜんぜんちっともかっこよくない悪あがきが
気高い自由な生き様でなくとも
人の心を動かすというときだって
今夜は晩ごはんの時間が一時間くらい遅れたって
みんながまんして待っていたのだから。
面白そうにキッチンをながめたり
おなかがすいたの歌を合唱しながらだったから
氷柱姉じゃは泣きそうであったが
なんだかんだで面白がりつつ
みんな応援していたような気がするぞ。
もし、氷柱姉がそのことにまだ気がつかないで
一人で落ち込んでいたら悲しいことじゃ。
かっこよくなくたって、氷柱姉じゃが張り切っているのを見たら
家族は誰もが喜んでいるはずなのにな。
ちょっと黒焦げをお残しする子が多くても
あんなに真剣になって続けてくれているのを見ていたら
やっぱり面白いものじゃ、
こうでなくてはいかんと
わらわは思うのだから
羽ばたく偉大な魂に導かれる先人たちのごとく
氷柱姉じゃも何の根拠もない自信を持って
やる気になってくれたら
少なくとも食事時の家の中はいつもより活気が出る気がするぞ。
世の中、いざとなったらなんとでもなる。
わらわは愉快な気持ちで見守るだけで満足じゃ。