『はじまりは』
今夜のメニューは白身魚のフライ。
上品であっさりとした味の中身を
フライにすることでそれなりのボリュームを持たせておなかも満足という
ある意味では、いいとこどり。
また別の見方をすれば、少し中途半端じゃない?
それなりに充分あり、というか
まあだいたいこんなものね、というか。
工夫の仕様がそんなにないもんね。
フライにしたくらいではね。
そこで、本日の料理長をつとめる蛍ちゃんの提案で
もうひとあじ。
濃厚なタルタルソースで
深みのある味と、高級感をちょっと演出しようと
つまり、手間がかかる作業に挑戦するわけだから。
放課後すぐ学校にいるうちに、フットワークが自慢の立夏連絡網が回ってきて
信頼性に欠ける情報がもたらされたまま
何事かよくわからないまま早めの帰宅大歓迎ということで
蛍ちゃんがお手伝い募集中のキッチンにたどりついたら
たまねぎのみじんぎりと
白身魚のみじんぎりと
キュウリのピクルスのみじんぎりと
平行して作業を進めている場所は
まないたが並び
ボウルが飛び交い
順番に仕事が進む流れ作業は
能率的なんだか
勢いまかせなのか。
まな板が空いたら、まず春風姉様や蛍ちゃんがざっと刻んだたまねぎが乗せられ
細かくしてボウルに移したら、また次のたまねぎが渡されて
わんこそば的な……
あるいはモダンタイムスの1シーンを思い出すスピーディーなテンポのいい展開で
ちょっと不器用な子はそのまま歯車に乗ってそれっきり
ぎゅうぎゅう押されて流れて行ってしまいそうだから要注意。
途中で立夏が休憩用に横に置いたオレンジジュースが
いつからか混じってボウルに入って渡されていくし
春風姉様がおかしな甘いにおいに気がつかなかったら大変な隠し味になっていたところね。
はー疲れた。
こういうのは勉強とは違う集中力が必要になる気がするな。
蛍ちゃんいわく、おいしいものを作るには手間がかかるものだから
どれだけ時間をかけるのも覚悟の上。
なんにも苦労じゃないそうだけど
いやいや……
本職じゃないんだからここまで別にっていう時が
ときどきあるみたい。
それなりにお手伝い経験がある子は総出で
シェフの気まぐれにより
手を止める暇もない作業に巻き込まれ、
20人分のお皿を確保するべく
秋の日の沈む夕日でもかなわない疾走だったわ。
下っぱとしては、流されているうちに
どうにか形になるものね……
くらいの感想で。
ヒカル姉様も立夏も
麗ちゃんも、ついでにはしっこでちょろちょろ何かしてた下僕も
どうなることかと思ったけど。
頭の三角巾をとって最初の一言は、そろって同じだったという
まあなんというか。
できあがりはばっちりで
いったいどのあたりを私たちが協力したんだかわからないくらい
雰囲気のいいお店で出てくる料理みたいになっていたのは
本当に、素人ばっかりのお手伝いだったのに
どこに私たちの作業が含まれていたんだろう?
まあおいしく仕上がってよかったわね。
これから当分は、蛍ちゃんが集合をかけたときは警戒してしまいそうだけど
まったくいったい最初は誰がこんなちまちました料理を考えて
どんな性格の人たちがそれを受け継いで伝えてきたんだか
人間のすることって、なんにも説明がつかないみたい。
たぶん蛍ちゃんが先人からこんな細かいレシピを渡されて
私がいつか必要を感じたときは
できればもうちょっと工夫を重ねて作業を短縮できれば……
なにしろどんなアレンジも、人間の手による技だと思うから
やがて知性の光で、家庭料理も変化していくものなんでしょう。
と考えていたんだけど。
今回は、昔ながらのタルタルソースではなくて
蛍ちゃんの工夫した、たぶんどこのお店でもまだやっていない挑戦。
誰にも明かせない我が家だけの秘伝だという。
どうやら新しい才能がもう開花をはじめて
私が入る余地なんてないみたい。
こういう愛情表現に素直な子が
いつでも新しい始まりを切り開いていくようにできているのかな。
ま、私にはどうでもいいことだわ。
もうちょっと後進たちが育って誰かが上手になったら伝授する秘密らしいわよ。
なんだか下僕もわりと器用だっていうし、狙ってみたら?
隠し味のヒントはカレー粉だって。
冗談っぽく言ってたけど
本当かしら?