吹雪

『パワーファイター』
他のどのような種類の生物と比べても
人間が特異であるとするなら。
そのために他の動物と比べて有利と考えられる点があるならば
何であるのか。
道具を使う生き物である。
社会生活を営む。
コミュニケーションに言語を利用する。
いずれもすべて、
他の動物にも見られる行動なので。
それが人間だと断定する根拠にならない。
知性が優れているというのなら──
その前に、知性の定義がはっきりしていないので
多くの場合は
特定の環境に対応しやすい状態が知性だとする見方もある。
そのため、
人間が余り大きな規模の社会を作ることがない場所、
たとえば極地や高山、または生物の種類が多様になる傾向がある密林などでは
人間よりも知性的な活動で生き延びようとする動物たちがいる。
図鑑で見ました。
でも実際に、苛酷な環境で生息している姿を見た経験はありません。
家族旅行で南極を行き先として提案することは
私もあまり気が進まないので。
やがて大人になって
旅行先の選択にいくらか自由な幅ができるとしたら
私もいつかは
遠い南の島を飛行機で飛び越え
さらにその先の──
それとも船を利用する旅が多いかもしれない。
精密機械は環境しだいで不調になりやすいものだし
部品が手に入りにくい場所では修理も難しくなるから
単純な構造が望ましい。
しかし考えてみると
宇宙環境など、苛酷な環境で利用される品物は
充分な耐久力を得るために
非常に高度な職人芸で
精密に作られているという話もあるし。
深海調査のマシンが科学技術の結晶であることは疑いもないのだし。
私は果たして
苛酷な環境への旅に耐えるほど精巧に作られているのだろうか?
人間という生き物は
はたしてそれほどまでに頑強なのか。
充分な設備は人を本当に未踏の場所へ運んでくれるのか。
科学の発達は
やがて、この地球上を征服できるのか。
また、広い宇宙のどこまでも人間の生息地を広げていけるのか。
さらにその先の
光速で遠ざかっていると考えられる宇宙の果てを越えて
いまだに誰も見たことも想像もしたことがない場所へ
人類は──
いつか。
少し、話が広がりすぎたようですね。
動物のことを調べていると
人間が人間であると主張できる部分はどこにあるのか、
いったい霊長を自覚できるほどの種族なのか
疑問に思うこともあって。
それでも確かなことは
たとえ、人類があらゆる生物の上に立つ生き物だと考える理由が
突き詰めていけば何もなくなってしまうとしても
どのような日々が続こうと
いつまでも変わらず
私は自分の家族を愛している。
広い世界に存在する
どのような生物でさえかなわない。
どれほど美しく心を動かす景色でも
神に触れることでしか生み出せないという全ての芸術を相手にしても
私は堂々と胸を張って宣言することができる。
家族が一番だと。
私には世界で最も愛している人がいると。
この愛は何があっても続いていくと
少しもためらうことはなく。
誰が相手であろうと
これが私の愛する人たちだから
胸を張って。
今は厚みのない胸だけれど。
将来は年齢にあわせた適度な運動をするようになれば、
それなりに筋肉のついた胸板になることでしょう。
そうなれば、もう少し言葉に外見的な説得力が伴うかもしれない。
いえ、体型をあまり気にしているわけではないです。
年齢を考えれば、何も問題ありません。
それにしても、家族を愛する心も
多くの動物は自然に持ち合わせているようだし
私はあえて
自分が人間である、
と主張したいわけではまったくないような
今、そんなふうにも見えますね。
人間らしさとして
あきらめずに研究を重ねる姿勢や
どこにでも生活環境を広げようとするタフネスなど
少し考えてみましたが
うーん。
あまり急いで答えを出す必要がない問題なのかもしれません。
それよりも、今度行く動物園の話題で
虹子が思いついたらしい
フラミンゴの色はハートのピンクだから
好きな人と一緒に見たら幸せになれる!
という意見を
何の根拠もなく、夕凪姉や春風姉が信じてしまった状況が
あまりにも不可解なので
もしかしたら、そういった説を受け入れる
もともとの伝説なり予備知識なりが存在するのではないか?
私が知らないだけなのではないかという不安が
だんだん大きくなってきました。
知らないことがたくさんあるのは
決して恥ずかしいことではなくて
世界の全てを知ることができないであろうとわかっていても
知識を得ようとする人間本来の衝動であるので。
これもまた、人間だけの特有の行動だとは言えませんが。
だからフラミンゴの件に関連して
いえ、関係ないようなことであっても
私が知らないことで、キミが知っている話があったら
どのような内容でもいいので聞かせてくれたら
私はうれしいのではないかと
そんな予想をしています。