吹雪

『こころ』
人間の精神はどこにあるのか。
目に見えない重要な活動はどのように行われているのか。
医学的には脳の構造に由来するとされ、
哲学的にはクオリアをめぐる考え方にヒントがあり。
博物学民俗学、神学などでは霊性の解釈も分かれる。
しかし、役割としては脳は情報処理を許されているだけであって
五感の反応をとりまとめているにすぎない以上、
脳だけが人間の思考をつかさどるとは言えない。
オーラのように現代科学で分析できない理論は
現時点では観測も追試による確認も不可能なので、推測の材料にできない。
もしかしたら、科学でも宗教でも、分類が可能な全ての学問の何物でもなく
人類の知性がいまだかつて一度も踏み込んだことのない領域に
その答えがあるとしても、
そして、私にとってかつて誰も人類がたどりついたことのない特別な何かとは
キミの存在であるのだけれど、
今はまだ誰も、精神の所在について私が納得できる説明を
文字にして教えてくれたことがない。
新しい理論が生まれるとしたら、それに一番近い場所に存在する未知の塊が
私の観察では、この家族であるという考えは
もしかしたら単に私の情報が家族に偏っているだけであるかもしれないけれど。
現在、最も興味があるのは私を囲むこの家族なのだから
この研究によって得られるものが何もない、ということは考えにくい。
ともかく、唯一といえる理論が確立していない以上
人間の精神は、客観的な観測が可能な範囲に限定すれば
それは脳によって統合されている人体の器官すべてであるという考えは
ひとつの仮説としてあげられる。
正しいかどうかははっきりしないけれど
この説を前提としたならば
精神は、身体の大小や強さによって左右されるものではなく
同じ0歳であっても、妹たちが小さかった頃と今のあさひではすべて性格が違うのだし
病気がちなユキであっても健康的な心の成長を発見できる。
同じ年で体格が似ていても、キミとヒカル姉の精神構造には多くの違いがあり、
年上の姉たちと比較しても私はそこまで目に見えてはっきり
恋愛の対象として劣っているわけではないという見方もできる。
脳を中心にした人間の肉体がどのようにして精神性を構築するのか
科学的な判断が難しいのならば
私が集めたいくつかの情報は、結局は無意味なものかもしれない。
ただ、学問はたいていの場合は多くの失敗によって築かれるもので
またすべてが無意味に終わったとしても、
研究の過程が私にもたらす喜びは変わらない。
知識の追求は、永遠に出ない答えを求める道のりで
どこにもたどりつけない徒労の旅に終わるかもしれない。
それでも私は研究を続けるのだし
最後まで何も得られないままでも
おそらく、終わりのない旅を続けることを後悔はしない。
あるいは、後悔を続けても歩き続けることをやめるなど考えられない、
というほうが正しいかもしれない。
全てが役に立たない情報ばかりでもなく
家族の健康面を調べることもあります。
キミの体重と身長の測定結果は
今のところ、家族間で秘密扱いはされていないので
つい最近の記録が残っているため
そこから導き出される答えは、いくつかあって。
この夏も暑さに体調を崩すこともなく、
また、アイスやジュースを摂取しすぎて体型が変化することもなく
どうやら健康で夏を乗り切れたということ。
そして今、私が求めている情報は
おやつの時間に氷柱姉と立夏姉が製作した焦げたクッキーを
あまりにもおいしそうに
みんなが残したぶんまでまとめて食べてしまったので
果たして胃腸に影響がないか現在の体重の測定や
もしかしたらそんなにクッキーが好きだったのだろうかという嗜好の調査を
協力してもらえたらと願っています。
氷柱姉たちが挑戦しているのは
この夏休みに残されたあと少しの期間を利用して
二学期が始まってから、自分でもお弁当を作るための
簡単な調理技術の習得。
そのための、まずは簡単なクッキーから。
立夏姉は、どちらかというと好きな人に
お弁当やお菓子を食べてもらうのが目的とのこと。
朝食のサンドイッチ作りも、練習のために手伝ったそうですが
パンに具をはさんで切るだけ、のはずなのに
すぐにばらばらになってしまうという。
ピンで具を固定しても、すぐに崩れて散らばる野菜やチーズのかけら。
布巾をかけて軽く上から重しをする工夫を追加しても
それでもやっぱり簡単に崩れてしまう、サンドイッチになりきれない食パンたち。
自分で作るサンドイッチのためには、これから具を調理する必要もあるのに
今もまだ包丁の扱いさえ危なっかしいまま。
いったい料理に必要なのはセンスなのか経験なのか
料理への情熱なのか、あるいは食べてもらう人に向かう愛なのか。
氷柱姉たちの挑戦が調理技術を習得するために何が役立つのか教えてくれるでしょうか。
また、料理の途中で見せる感情の振幅を聞かせてもらうことによって
人間の愛や情熱などの複雑な精神の所在を明らかにするための光が見えてくるかもしれない。
キミの胃腸がどれだけの許容範囲を持つのか測る試験にもなりうるけれど
それは今後わが家で調理に挑戦する全てのものにとって貴重な情報になるとしても
あまり実験を繰り返したい部分ではないので。
明日からは調理への参加を希望する人数が増える予定です。
もしも危険そうな料理が出来上がったら、なるべくテーブルに並べないようにするので
少しは安心してもらえると思います。