春風

『なでなで』

大きなお空が
果てしなく広がって。
物干し竿に届くまで掲げる腕も
まだ全然ちっとも近づいた気がしない遠くの青。
高く見上げるような雲が
山のほうからもくもく背を伸ばし始めたら
あんなに大きなものがあらわれても
まだはしっこのほうにかかるだけ。
この青いお空はどこまで広いのだろう。
きっと春風がこれから手を伸ばし続けても
めまいがするほど長い間、指先をぴんとさせて遊んでいても
手が届くなんて思えない。
今日も良く晴れた、いいお天気。
こんな日になつかしくよみがえる夏の思い出は、
まだちっちゃい子供の春風が、
運動もそんなに得意じゃないのにお庭をとっとこ、
せいいっぱいに追いかけていく夏のお帽子。
あれは台風が近い日のことだったかな。
海晴お姉ちゃんが、お天気情報が終わった後にも
止めないでいたままのラジオからは、
少し音の割れた夏の歌が
春風の知らない国の言葉で。
その時はまだ見たことのなかったどこか遠い海辺で
たぶんこんな歌が奏でられていて、
春風たちが見ている青いお空がずっとつながっている。
春風のお帽子を転がしてしまう風は
台風が嵐を運ぶ海のほうから近づいてくるのだと、
海晴お姉ちゃんが教えてくれた午後。
そんな遠い場所から
春風のところに風や雲が渡ってくるなんて
実感が沸かないまま
強くなっていく風に怯えていた時期。
全部までは覚えていない幼い頃だけど
もしかしたらその頃、怖がりの春風は
お姉ちゃんたちにしがみついて、迷惑をかけていたのかもしれない。
あの時と同じように
今日もお空は広くて。
もう、天気が崩れそうな風は吹いていないし
古いラジオから鳴っていた歌は
今では、小さい子たちの重なる声。
そしてこんなに大きなお空の下の
たったひとつきり、私たちの帰る場所には
愛する家族がいっぱい生まれてきて──
その真ん中に、春風が一生を捧げる人がいる。
いくらお空が高くて、広くたって
ときどき風が春風のお帽子を飛ばすとしても
何も怖くなる必要なんてない。
どんなに大きいこんなお空の下でも
春風は迷わずに、あなたのいるところに戻ってくる。
そしたら、ずっと春風は王子様のために尽くして生きていくんです。
今日もいいお天気。
大勢の家族たちが毎日いっぱい汚してしまう洗濯物だって
ぜんぶ乾いてくれる
気持ちのいいお仕事のあとです。
明日からもおうちのみんなが、汗まみれになってお庭を転がりまわってもいいように。
春風の一生懸命のお仕事が
家族みんなの元気に少しでも役立てるように。
賑やかな声を聞きながら、うれしい夏のお仕事を済ませた一日でした。
おうちのどこにいても届く、夏休みの気配。
夏の青いお空に吸い込まれていきそうな歓声も、
すぐに飛んで行って抱きしめたくなる、胸を締め付けるような泣き声も
秘密のひそひそ話がふとした拍子に聞こえてきてしまうのも。
いい子でお勉強する鉛筆のさらさらだとか、
少しでも涼しいところで読書を楽しみたくて、風鈴の音のそばにも
誰かが傾けるグラスに当たる氷の音。
それから、暑くなって脱ぎ捨てられた
放り出しっぱなしのシャツやくつしたを
お洗濯屋の春風に運んできてくれるお手伝いさんたちの大騒ぎ。
届けてくれて、ありがとう。
お姉ちゃんのお仕事を手伝ってくれて、えらい子たちね。
みんなが元気でいてくれて、楽しいから──
こんないい妹たちを持った春風は
おうちで普通の女の子らしく過ごしているだけのつもりでも
夏休みの大切な思い出がどんどん増えていく。
みんなにもらったうれしいことばかり
積み重なって。
まもなく夏休みも終わります。
月末のお祭りを楽しみにして、浴衣作りをがんばっている蛍ちゃんにとっては
早くその日が来てほしいみたいにも見えるし
もっと時間があっても足りないような大急ぎにも見えるし
まだ、全然夏が終わるなんて気はしないのだろうけど。
今年はもうすでに夏休みの宿題を計画的に済ませた立派な蛍ちゃんの
この季節を楽しみつくすための最後のお仕事なのかもしれません。
みんなの楽しいお祭りに向けてがんばっている蛍ちゃんは
春風もすごいねって抱きしめたくなってしまう自慢の妹。
ふたつ上のお姉さんのことりちゃんから
夏のがんばり賞がもらえるかしら?
がんばっていたのはことりちゃんもなんだから
きっとあげるだけじゃなくて、μ'sのみんなからももらえただろうなと思います。
春風たちを待っている夏祭りには、夏の水着コンテストはないみたいですけど。
でも、そういうことなら──
あるのかしら?
ううん、水着コンテストのことではなくて。
あ、そういえばちょっと小耳に挟んだ話で
立夏ちゃんが夏の間に見てもらいたい何かがあるって、小雨ちゃんたちと相談していたみたいだけど
ひょっとすると、おうちで計画なんかがあるのかも?
その時は春風もぜひ参加して、王子様だけに見てもらいたい姿がたくさんあります。
見てもらいたいような恥ずかしいような気もするな……
別に立夏ちゃん主催の計画じゃなくて、春風一人のお願いで見てもらってもいいのでしょうか?
それで、さっき少し思いついてしまった
春風の胸をときめかせる甘い想像。
ことりちゃんに、がんばったねって言ってもらえそうなお友達がいるとしたら
春風だってもしかしたら
王子様にそっと頭の上に手を置いてもらって
優しい言葉をもらえるなんてことが
がんばっている夏の間に、もしかしたら?
小さい子たちが自然にそうしてもらえて
猫みたいに目を細めて、くすぐったそうだったり気持ち良さそうだったりしている
あんなふうに。
もしも年を気にして遠慮しているんだとしたら
遠慮深いばかりじゃなくて、いつも王子様が見せている男らしい優しさみたいに
してくれたらと
勇気を出してお願いをしてもいいですか?
いつでもいいんです。
春風はいつだって待っています。
王子様がそっと手を伸ばしたら
とって食べたりなんてしません。
今すぐには、とりあえず。
もしかしたら春風は抱え続けた気持ちを抑え切れなくて
約束を破ってしまうことになってしまうかも、と
あなたが近くにいるだけで激しくなる鼓動は
いつか制御できなくなる日が来るとしても。
楽しい夏も、終わりの時間が迫ってきました。
今年も忘れられないかけがえのない思い出を
もっともっと増やしていけたら。
ううん、今年こそ。
今までにない絆をあなたと繋ぐことができたなら。
あと少しになった夏の、まだこれからのできごと。
何が起こるのか、
春風はもう少しの日々に期待をしています。