『キリギリス』

もちろん早めにやっておくべきことは
あるもので。
絵本に道徳を説かれなくとも
この年になれば知っている。
果てしない宇宙すらもいずれ滅び行く定めであっても
夏が終わり、やがては冬が来るときには
定められた終末はおそらくまだ訪れていないであろうということ。
また、夏休みが終わるまでに
宇宙におけるエントロピーの増大が極限まで達してしまうとは
おそらくなかなか考えにくいということ。
大きな視点で見れば、音もない闇だけを残して
いつかは消えていく全ての形あるものたちも
限りなく小さい塵のような儚いわれわれの目では
なかなかそうはっきりする区切りはあらわれない。
だいいち、宇宙が消え去ったとしても
時間がない無の世界に、もしも仮定としての永遠があるのならば
そのどこかではじまりの爆発がまた起こるのもありえないとは言い切れない。
また私たちが今あるようにふたたび家族として生まれ
こうして宿題を前に途方に暮れる夏休みを迎えるのかもしれないのだ。
いや、私はそこまで絶望的な状態でもない。
今はしっかりものの次女になり、尊敬のまなざしで仰ぎ見られているかもしれないが
そう、かつては計画性の足りない子供だった時代もあって、
その時にさんざん学習したのだ。
やらなくてはいけないことを先送りしたら
後で追い詰められるのは他の誰でもない自分自身なんだと。
あの時にねばり強く付き合って勉強を見てくれた海晴姉も
今となっては根気をたたえた青い泉も水が尽き、乾き果てたのか
このごろは一言釘を刺すくらいで
今年は不安定な天気もあって、休み明けから天気図調べが忙しいようだし
あまり相手をしている時間が取れない様子だが。
大丈夫だ。
私だって、何も言われなくてもどうにかやり通すくらいの計画性は──
今年はほんの少し予定が遅れているというだけで
恐れなければならないことなどひとつもないはず。
それに、心強いこともある。
かつては、夏休みを遊び尽くして他の何も知らないような子が我が家にいるとしたら
それは私か幼い頃のヒカルだと真っ先にその名を呼ばれる
毎年8月の名物だったのだけれど。
今ではそれすらも凌駕し、あの頃の宿題の遅れすら恐れる事態ではなかったと思えるほど
立夏と夕凪の前に山と積まれた宿題と
かつて我が家の誰も夏休みの終わりを除いてはなかなか向き合ったことはないであろう
紅蓮の熱を放射する氷柱の釣りあがった目の輝きに
横から見ていても気の毒になるほどであっても
あれでも毎年どうにか宿題が終わるのだから。
私がかつて追い込まれ、
そしてまた今、沼に沈み込む足取りのように踏み込もうとしている焦燥の奈落など
たいしたことはない。
立夏たちに比べたら
どうにかなりそうな気もしてくる。
うん。
オマエも──
夏風邪には気をつけるんだぞ。
これから助けを求める声が増えるであろう今、
体を壊したらせっかくの夏休みも家族と過ごせないからな。
一応、机に並んで宿題を広げるのも家族との思い出と言えるのではないだろうか。
他にもっといい思い出を作れる可能性があるという点は
追い詰められつつある学生が増えてきた今の状態では
大家族では多少はままならないこともあるとして
さしあたり置いておくとしてもかまわないだろう。
暑さが続いて体調に気をつけないといけない季節。
誰か友達と宿題を分担して参考にさせてもらう予定があるようなら
体調不良はとても困った事態につながるかもしれないからな。
まあ私の場合は今それを言っても遅いんだが。
違うぞ、勘違いするんじゃない。
間に合わないと泣き言を言っているんじゃなくて
オマエができるだけの姉思いの姿を見せてくれたら
私も夏の終わりに、かわいい弟と勉強やその他にも思い出を作る余裕が少し生まれるかもしれないと
それだけのことなんだ。
しかし、妹たちがあわてて白紙のページをながめわたす様子を見ていると
かつての私もこんなふうにかわいらしい妹として
海晴姉の目に映っていたのかと
あの何も知らなかった日々が甘く胸に広がる追憶に変化していくようだ。
私が幼い頃に見つけ出した
廊下の端の夏場の涼しい秘密基地も
久しぶりに見に行ってみたら、残されている妹たちの痕跡。
同じように発見し、
また私たちを越えて新しい隠れ家を開拓しているような気配もある。
追い越されるように、夏休みの宿題を残しておくあまりの量の凄さばかりでなく
おやつに飛びつく最速記録も更新され続け、
ことあるごとに語り継がれてきた小さな子たちの旺盛な食欲の記録も
私がいつまでもその名を語られることは少なくなって
頼もしい後輩たちは、ゴールを遠く彼方に置いているかのように走り続ける足を止めない。
まさか私が妹に、落ち着いてよく噛むように忠告する立場になるなんて
自分自身でも不思議に思うみたいに、海晴姉だって想像もしなかっただろうな。
すべてが終わる定めと私がたどり着いた答えも
やがて誰かにくつがえされる時は来るのだろうか?
たとえ揺るぐことのない真理が相手であっても
力強い挑戦は飽きることもなく続いていく。
だが、そう何もかも乗り越えられてしまうのも
ずっと先の話のはず。
全てが塵に帰る終末よりは早く訪れると期待できるかもしれないけれど
まだそう簡単には
面白そうな何もかもを譲り渡すわけにはいかないだろうな。
とりあえず今は、
奪われてしまう前に確保しておかなければいけない時間は
こうして。
宿題でなければもっと良かったかもしれないが
まあ、広大な宇宙の前ではたいして変わらない。
オマエとこんなに近くにいるという事実の前では
宿題であろうと、もっと特別な出来事であろうと
塵のようにちっぽけな私たちにとっては
大して区別する必要もない出来事だろう。
最上級生の学力を必要とする手伝いまでは、いくらなんでも要求しないから
ただオマエが自分の望むままに
安心して私の隣に来れば──
あとは私に任せておくといい。