立夏

ニトロチャージ

そーっと
そーっと。
すやすや気持ち良さそうな
みんなの枕元を
一瞬だって
音を立てないように。
つまづいたり
ふんづけたりして
悲鳴をあげさせるなんて
うかつなリカがよくするような
そんな失敗がないように。
だって今日は、旅行の最後の夜。
いつもみたいに、ただごろごろ転がって
ぐうぐう鼻ちょうちんをふくらませたり
甘くてかわいいにおいを見つけてすっとんでいくような
生まれたばっかりみたいなこどものリカじゃなく、
もうすこし集中力が抜群で
狙いを決めたら、目をそらさないで
ふだん何も考えずに大騒ぎしてばかりいるこのお肉があまる体も
このときだけは遠い目的のためただひとつに
緻密な計画を立てて進んでいく。
いつもとは違う。
あばれんぼうというんじゃなくて、大胆な
そういうなかなか無理そうな大人に
リカがこの日と決めた夜だけは
何かの特別な力でいきなりなれるなら
それは、月の不思議な光が理由でもいいし
こっそり秘密を研究している
どこか森の奥の優しい魔法使いのきまぐれでもいいから
今日、オニーチャンを連れ出すまでに
静かに、誰にも気づかれずに。
そんな奇跡を成功したら。
ううん、絶対できる!
リカは今日だけなら
まるで向いてない隠密行動が
明日からは何度挑戦してもまた成功することなんて全然なくたって
今夜だけならあるかもしれないから。
あってもおかしくないと
胸のどこかで
火花みたいにちかちかする光が伝えている。
みんなが寝静まってしまった
このチャンスになら。
お昼過ぎまで大掃除をして
立夏は誰よりも散らかしたんだからと
真夏でも変わらずクールで厳しい氷柱ちゃんが
自分もほこりまみれになっている指で、リカの襟をつまんでしまうと
髪をまとめる家庭的な三角巾も氷柱ちゃんに意外と似合ってるネって茶化しながら
ああ、これは逃げられないと観念するのも
時間の問題だったわけで。
夕方近くになって、ついに掃除が終わったら
お庭に駆けていってゴムボールを拾い上げたり
明日の朝にほうきで消してこれが旅行の本当に最後の最後な片づけになるんだねって
お庭の隅に枝で書いたけんけんぱの輪に右足で踏み出す声を聞きながら
ああ、頭はかるいリカなのにどうしてまぶたはこんなに重いの?
なれない仕事に疲れた体を引きずって。
春風おねーちゃんがあーちゃんを抱っこしながら
さすがの立夏ちゃんもこんなに毎日全力で楽しんでいたし
あーちゃんはお兄ちゃんを探してまだこんなに元気なんだもの、
春風みたいに立夏ちゃんも元気をもらったらいいのにね! なんて時に
リカがあーちゃんをなんのまだまだーってつっついたのが
目を閉じる前のぼんやりとした記憶。
吹雪ちゃんが目に焼き付けるみたいにして窓から外を見ていた後姿が
リカがベッドに倒れこむ前に振り返ったのは覚えているから
どんなに疲れていても
どうにかベッドまで自力で歩いたリカはえらいよね!
普段はけっこう、廊下の途中で風通しのいい日陰を見つけ出したら
そこで力尽きていることも多いリカだもんね!
珍しくベッドまでたどりついて、すっかり熟睡したもんだから。
旅の最後のお楽しみは、もうすぐママの事務所で発表するユニットの
新曲の衣装だったとか。
管理人さんは、昔のアイドルだったのかははぐらかしていたけど
実際に芸能界で長いこと活動していた経験があって、
実は、その経験を生かして
ここに来た生まれたてほやほや芸能人候補の素質を見極めるお仕事もしている人なんだとか。
つまり、この保養所がわりと人の多いところにあるのは、
まだ顔が売れていない新人さんに来てもらってこっそりテストをするためで、
観光をして毎日の生活をして、自然な姿を観察するために最適なんだという理由だからとか。
そして、この家族で管理人さんの目にかなう人が見つかったら
なんとママの事務所の新曲に参加する予定だったけど
おうちのみんなはまだ幼いところがあって
これから普通の生活をしながらどんどん成長していく子たちで──
素質はあるけど、芸能人デビューは
もう少し経験を積んで大人になってからにしようっていう
話になって。
結局。
おうちではいちばんみどころがあって、もう一歩のところだったと
管理人さんが特に見込んだ二人。
海晴おねーちゃんとオニーチャンが、お掃除の後の時間で
管理人さんの指導でダンスの練習をして
晩ごはんの前に
みんなの前に見せてくれたとか
リカはもうぜんぶぜんぶ、後から聞いた話で
ぐうぐうのんきに眠り込んでいる間に
そんな楽しそうなこと全部
見逃してしまった!
ああ──
旅行中は、どこに何か面白そうなことが隠れていても
どうやったって見つけ出すつもりで
休むのももったいなくて足を止めてなんていられずに
そこらじゅうを探し回っていたのに
ほんの一瞬油断をしただけで
ああー……
海晴おねーちゃんは話は最初から全部聞いていたんだけど
きっとヒカルおねーちゃんか立夏が選ばれると思い込んで
すっかり撮影モードのカメラマンになりきっていたから
急にみんなの前で踊ることになって緊張しっぱなしだった姿は
天気予報でさえ絶対見られないここだけのかわいさだったって
そんな海晴おねーちゃん
リカ見たことないよー!
ちょーレアなかわいさだよー!
きのうみんなを引率しながら、時刻表の見かたを間違えて
うっかり電車が行っちゃったときのあわあわっていうかわいさ以来だよ!
けっこうあるのか?
それと、オニーチャンのダンスは
管理人さんが見込んだだけあって
本格派の指導を受けたら
見違えるようだったという話も。
そ、そんなー。
吹雪ちゃんが、疲れているみたいだったからってみんなに伝えて
ゆっくり寝かせてもらったおかげで
今こうして、最後のお楽しみを見逃した悔しさに
どうしていいやらのたうちまわる気持ちで
いっぱいだヨー!
というわけで。
春風おねーちゃんは、管理人さんが何と言ったって
自分は王子様が望むならあなただけのアイドルにだってなれる、って
鼻息を荒くしていても
やっぱり夜になったら疲れて寝ちゃって、
夜もすっかり遅くなったこんな時間にはもう
起きているのは、昼間にたっぷり休んだリカと──
たったいま腕を引っ張って揺り起こしたUだけだヨ!
みんながいる部屋だと、大きな声は出せないから
どこか。
どこかでこっそり
眠れないリカの面倒を見て、せめて隣にいてくれないと
ついうっかりリカが大きな声を出したら、みんな起きちゃうんだから!
そしたら明日の長い帰り道は寝不足の子だらけで大変だあ!
いいでしょ?
普通なら絶対にありえない奇跡を起こして
こんなにがさつなリカが、誰も踏んでしまったりしないで静かに歩いて
まっすぐに、遠い道のりだって抜けて
オニーチャンのところにたどりつくなんてことが本当にあるんだもん。
旅行の最後の夜だけの
特別な時間がくれる魔法で
リカの願いが叶うなら──
誰も起こさないでいられるように、声を抑えて
顔を近づけてひそひそ。
眠くなるまで好きな人と一緒にいて、小さな声でも話をしていていいなんて
そんな願いが
どんな予想外のきっかけで叶ったって不思議じゃないはずなんだから。
眠れない夜に元気がありあまってしまっている
オニーチャンのかわいい妹に──
楽しかった旅行の、一番の思い出をください。
きっとそんな時間が来る。
二人でいられる楽しい夜はもうすぐなんだと
Uのかわいいリカの予想は
絶対外れっこなしなんだから。