ヒカル

『ひとりじめ』

西のほうの空に
やまぎわいっぱいまで腕を広げて
駅から歩く二人を染める夕焼け。
はてしなく、限界も何も知らないみたいに広がって
今見ている鎌倉の町にしているのと同じように
私たちが留守にしてきた家も今頃こんな色に変えているんだろう。
長い電車の旅でたどりついた鎌倉の
ゆったり落ち着いた雰囲気に
何も不満があるわけじゃない。
家族で来たんだから、さみしいなんてことはひとつもない。
それでも、もしも私が少し元気がないように見えて
実際に──
なんとなく胸の中でふわふわ
そよ風に浮かんで捕まえられない何かを追いかけているような
自分でも意味のはっきりしない落ち着きのなさを感じていた理由は。
たぶん、ただ単純に
こんな静かな景色を、
オマエと歩いてみたかっただけ。
言葉も何もなく
迷うことも、面倒なことも、理屈っぽいことも
何も頭をぐるぐるさせる必要なんてない。
ときどき重なる靴の影、たまに同じリズムで進んで
長い坂道をゆっくりのぼっていったら
会話がなくたって
同じ景色を見ていて、それだけで。
私の心に浮かぶどうでもいいあれこれの
泡みたいに音もなく消えていく気持ちを
誰よりも簡単にわかってしまって
それは、私が実際に考える内容よりも早く──
たくさんの秘密の正体を知る。
心にからんだ糸を解きほぐす方法も。
落ち着かない気持ちの端っこに
ちらりと顔を覗かせる雲があったって。
ただそこにいるだけで何もなかったみたいに青い晴れ間にしてしまう
お日様みたいな不思議な何かが
夕方の涼しい風が吹く時間に
ほんの少し気温が下がりはじめた
私のどこか目に見えない部分を埋め合わせるように
手が届くほんのすぐ隣を歩いている。
そんなふうにしてやっと気がつく。
もやもやしてつかみようのなかったこの感覚はずっと
何もかも吹き払って日が差す今を待っていたんだということ。
こうして、一番単純な望みを叶えるだけで
子供みたいにあっさりと
ほかのどこにもこんなにいいことなんてないと思うくらい
あたたかな──
私は何か満たされているような気持ちになること。
だんだん慣れてきたこの町を
オマエと歩いてみたかったという、ただそれだけの願いが
私の中にあったんだと、実際に歩いてみてはじめて知る。
家族の頼りになる長男を
私が独り占めしないとなかなか実現できない願いなのか、
みんなが自分に正直になるのが自然で、願いはなかなか叶わない今は
そこのところはわからない。
いつまでもわからないままかもしれないけれど。
自分でもその姿を見つけられなかった厚い雲の影は
少しの時間を過ごすだけで
たちまち消え去ってしまうと実感したのは
オマエが私たち家族のところに帰ってきてから何度目かのこと。
うっかり忘れそうになってしまうころに思い出して
前にもこんなことがあったといくつも連ねていく日々。
ここ数日、
あまりにも正体がはっきりしないせいで
ただの寝不足なのかと思い込んでいたくらいの
言葉にしようとしても何か不確かすぎる落ち着かない感覚は
昼寝するよりももっと楽な方法で解決してしまった。
鎌倉の空にまた雨雲がかかる前に
こんなふうにオマエと町を眺めることができてよかった。
これから先、不調かどうかも自分ではわからないときだって
もっとたやすく答えを見つけられるようになるのだろうか。
ただ並んで歩くだけで
こんなに簡単に片付くなんて
そんな小さなものが悩みだったなんてことが
本当にあるのだろうか。
もしかしたら、なんとなく重かった気分は
旅行に来て、家事の手伝いで
他のみんなよりも自分にできることがあんまりなかったり、
慣れないひらひらした衣装で
どうやって飛んで走ったりしたらいいのかよくわからなかいとか
そんな小さなことがどこかに積もって
単純なはずの私の気持ちをどこかで妙な模様にして、
流れをせき止めているというよりは
流れが変わって今までと違うところが刺激されたせいで
もぞもぞしているだけなのかと思ったこともある。
すぐにはできない家事や、着慣れないおしゃれを
あんまり気がつかない顔で、知らないふりをしてみたら
はたしてそれで本当にすっきりするものなのか
考えてみたって答えは出ないまま、むずむず。
本当は、気になっていたのは最初からそんなことじゃなかった。
ただ、今日も──
旅行に出て、場所が変わったって
オマエといられるだろうかと、それだけのことだった。
明日から。
ガサツな私だと、帰りの荷造りや後片付けの掃除はうまくいかないと思うし
それに、海晴姉は何かママから預かったものを隠して
サプライズしようとしているのもちょっと気になるけれど。
でもどんな予想もしていないことがあっても
大丈夫なんだろう。
不安なんていらない。
今日も家族といるんだから。
簡単なことだから
一緒に歩くだけで、すぐに気がつく。
すぐそばを並んで同じ道を進むだけで
染み込むみたいに。
悩むことなんて何もないんだと
胸の奥から広がって
体の全部が知ってしまう思い。
今日は、ありがとう。
みんなに心配をかけてしまった。
ずっと一緒にいてくれて
助かった、というか
こんな願いでも叶って当たり前でいいんだと気がついた、というか。
家族だから、こんなふうに
近くにいてもいいんだな。
みんなが待っている家に帰って
早く安心させてやって
いっぱい遊んであげなくちゃ。
これからも一緒に。
私たちはそうしていてもいいんだから。
せっかく大磯のおじさんに顔を見せに行ったのに
ほとんど話もできないで、お土産ばっかり渡されてばっかりで
なかなかせわしなかった一日も、あともう少し。
このあとは──
いっぱいもらった果物を分けるのか
それとも、こんなに花火をもらって持ち帰ったら
江ノ島観光で疲れたみんなも、残った力をふりしぼるだろうか。
花火をするなら
危なくないように、見ていてやらないと。
疲れた小さい子が眠ってしまう前に
早く帰れるかな?
みんなの話をたくさん聞きたいのと同じくらい
私も、今は言葉にできない小さなことばかりだけど
聞いてほしいことがいっぱいある気がする。