『雨の後』

午前中はまだ吹き続いていた強い雨にさらされて
じっとり濡れていたテラスも、
だんだん戻ってきたお天気のおかげで
午後からは、みんなが集まるようになった。
今度はすっかり止まってしまった風に、次第につのる夏の暑さ。
それに、着替えを取り替えすぎて調子に乗っていた子は
約束していた今日のお仕事は洗濯。
一人、また一人と用事に出かけて
いつまでも眺めていられるって声を合わせたばかりの
由比ヶ浜に向かう景色も
夕方には忘れられて、私の独り占め。
暮れかけても熱が残る日当たりのいい場所だけど
眺めていれば、ときどき風が吹いてくれるのにね。
晴れた鎌倉の景色にも、灰色の雲が時々影を落として
速さを増して過ぎ去り、また眺めの果てからもくもく。
明日にはまた雨がこのあたりを覆う予報。
旅行に来てから、今日で三日目になって
やっと差した晴れ間に見つけ出したのは
こんなに近かったのかと思う、古都の町並み。
木々の隙間から私たちが恐る恐る覗いているような海が広がる。
この景色をどこまでも電車は走っていくのね。
明日は雨で、外出の余裕があっても近くを歩くくらい。
本格的な観光に乗り出すのは、まだその先。
でも、出発前からその約束だったもんね。
時間があったら江ノ電は優先的に、っていう意見は多かったんだから
ゆっくりする旅行なんだし、焦ってはいないわ。
たぶん大丈夫だと思う。
まず観光に行くなら大仏様、みたいな雰囲気になっているけど
それは、ここは鎌倉だもんね。
やっぱり見ておきたい気持ちはわかるわ。
本当は、これから天気がどうなるかもわからないし
行けるうちにまず本命からとも思うんだけど
相手が鎌倉の大仏では、なかなかね。
焦らなくても、もうまもなくなんだもの。
もうすぐ江ノ電に揺られて
私は、海辺の旅をする。
そうしたらその時は
こんなひらひらした涼しいだけのワンピースじゃなくて
思い出に残る服を着ていくの。
めぼしいものは、もう探してある。
芸能界でも普通はこんなものばっかり着ない普通じゃない衣装室だけど
いい服もあってよかった。
子供が夢の中で見ているみたいな現実離れしたアイドル衣装や
プリキュアのような魔法少女だって
普段使いに着るものじゃないのに、なんであるんだろう?
こんなひらひらしたきれいなもの、
普通の洗濯機でいいのか、ママに電話で確認してみたら
撮影で使う衣装じゃないからOKだって。
いいんだ。
じゃあもしかして普通に着るように作ったのかな。
芸能界ってよくわからない……
というか、わからなくてもはっきり断言できるけど
こんな服を普段から着るような人は芸能人でもそうはいない。
私たちが着るように作ったの?
それとも、ママの事務所にはコスプレ好きの芸能人が多いとか?
だいたい、この立地も芸能事務所の保養所としてはどうなの。
近くをハイキングコースみたいな山道が通っているから
観光に来ている人がまわりを普通に通っていく。
芸能人がここにいるってわかったら問題じゃないの?
やっぱり、観月ちゃんが言うみたいに
ママも不思議な力を持っていて、気づかれないように結界を張っているのかもね。
まあ、観月ちゃんも不思議な力を持っているわけではなくて、ごっこだと思うけど。
たぶん。
ああ見えて──
みんなとおそろいのアイドル衣装で歌うのが好きな、普通の子供なんだから。
いっぱい着替えて遊んだあとは
お片づけの責任も伴うのは当然で、
昨日は大変そうに大きな本を運んでいた小さい子たちも
疲れも知らず、今日は一生懸命に洗濯物を物干し竿まで届けてくれた。
あんまり着替えなかった私も、
そうやって小さい子までがんばっているのに、黙って見ているわけにはいかない。
一日中ずっとここでぼうっとしていたわけじゃあないんだから。
ちゃんと家事を済ませないと、おでかけが後回しよって
海晴姉様のお達しなんだから。
晴れているうちにだいたい乾いたみたいで、よかったわね。
あとは明日、雨で家にいる間にまた散らかさないか見張っておかないと。
それから、本を散らかした部屋の片付けも手伝った。
おかげでこのワンピースも、ところどころ汚れている。
高原のお嬢様みたいだと言われても別にうれしくないけど
せっかくこんなに真っ白なのに、汚してしまったらかわいそうだよね。
明日は、乾燥機を使えばいいかな。
また着替えて遊んでばっかりで、洗濯物が増えたりしなければ
そんなに時間がかからないうちにきれいになるわよね。
風が通り過ぎていくテラスですごす夏の日は、
このくらい涼しい服がちょうどいい。
あんまり服で遊ぶ子が増えないように
雨が降る日でもちゃんといい子にしてくれそうな話題。
いい子にしていたら連れて行ってもらえるからねって
鎌倉の町を回るときのお店のおすすめを、みんなに教えておかないと。
そういえば、今日は管理人さんの案内で食材の買出しに行った霙姉様が
有名なお店に寄ったからって、20人分のおみやげを買ってきてくれたっけ。
やっぱり和菓子がおいしいのは歴史ある土地って気がする。
管理人さんは、先に自分の分は食べたから気にしなくていいって言ってた。
でも管理人さんも、家族旅行の邪魔をしちゃいけないって少し距離をとって
食事はいつのまにか一人で済ませているようだし、
それでいて、洗濯機の使い方や台所用品の場所を教えてくれたり
いてほしいときにはなぜか近くにいてくれる、不思議なところがある人ね。
ここがママの結界を張った別荘なら、
管理人さんも、ママが術で作り出して
私たちの旅行を手助けするために活躍する式神なんじゃないかと
これも観月ちゃんの意見。
蛍姉様は、メイドの修行を積んだ本格派だって主張しているけど
どっちが正しいと思う?
和菓子のお店も聞いたことがある名前だった。
鉄道旅行の本で見ていた
良さそうなお店が並んでいる鎌倉の町。
明日あんまり雨が強くなかったら、少しは歩いて回れるかな。
雨の日で家の中にいてもいい子に過ごせたら、
明日は海晴姉様がおそば屋さんに連れて行ってくれるって。
もう電話で予約しているのは見てしまったけど
でも、みんながいい子で過ごせるようにお手伝いしなくっちゃ。
それにしても、20人も急に食事に行くとなると
やっぱり早めに予約しておかないと、
なかなか都合がつかないなんてこともありそうよね。
しかもうちは、年齢がいろいろの小さい子がいっぱいだし
お店のほうも支度が大変そう。
未就学児童が0歳から年長さんまでの六人と、
小学生が一年生から順に六人と、
中学生以上が七人と、
お天気お姉さんが一人。
って予約していた。
本当に、途方もない人数で旅行に来たわね。
でも、お天気お姉さんが必要な情報なのかはよくわからないけどね。
明日は、この眺めのどのあたりに行くんだろう?
家事が忙しくてなかなか
こうして少し暇な時間が出たときに
誰かと見知らぬ景色を眺めて話をしていると
こんなときはふいに旅行に来たような感覚が湧き上がってくる。
これからの時間、どこを回るんだろう?
いちばん楽しみな電車に乗って、この景色を渡っていくときは
私はどんな気持ちになるのかな。
この旅行が後になって思い出になるときに
誰が隣にいて、どんな話をしたのかを真っ先に思い出すような
そんな予感がしてくる。
実際に歩いて回っているときは、
夢中になって、そんなこと気にする余裕はないと思うけど。
こうして静かに過ごしている今は。
その時、隣にいる人とどんな話ができるのか想像している。